ちはやふる総合スレ #2

2名無しさん@Next2ch:2015/03/06(金) 14:00:29.63 ID:bkV2S8Qo

ここでドストエフスキーの「罪と罰」ですよ
太一はラスコーリニコフと同じ方向性の心情を持っているということだ
違う点は太一が皆から好かれていること ラスコーリニコフが皆から嫌われていることだが
ポイントはそこではない
愛されるかどうかという二者択一には最後の最後にひとかけらの神秘が残されている
つまりどんなに容姿が良くても どんなに相手の事が好きでも 誠実でも相手から愛されるとは限らない
そしてその逆にトンデモない愚劣な相手を好きな女性が選んでしまうこともある
好かれるかどうか 受け入れられるかどうかにはどうしようもない不合理性が存在してる
どんなに努力しても どんなに一生懸命頑張っても他人が自分の事を愛してくれるとは限らない
社会が受け入れてくれるとは限らないという不条理が現実には存在している(逆もしかり)
その不条理を受け入れることができなく不公平だと憤りを過度に感じてしまった悲劇が2009年の秋葉原事件だった
太一は犯罪者までにはいかないまでも「頑張ってもだめなのかな」と絶えずこの不条理に苛まれているから闇の心に支配されている
そしてラスコーリニコフにとっての神秘はソーニャ 逆に彼はソーニャが何故自分をあそこまで愛してくれるのかわからない
ソーニャ「何故もっと早く出会えてなかったのかしら」
もしもっと早く出会っていればラスコーリニコフは殺人を犯す人間にはならなかったとであろうことをドストエフスキーは匂わす
太一にとってもソーニャみたいな人間がもっと小さな頃からいればまた違っていたかもしれない
本来両親がその役割を果たすべきだったろうが太一ママがその逆の影響を与えてしまったようだ
漫画では犯罪者にできないので「強引なキス」「一人捻くれる」という形で方向性を示す結果となっている


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