モネのマネ【印象派総合スレ】 #462

462名無しさん@Next2ch:2016/02/20(土) 14:50:46.77 ID:???

3章 「風景画家の手技(メチエ)」

その画業を通じてルノワールは風景画にも力を注ぎ、特に1870年代には、油彩作品の4分の1を風景が占めています。また、1880年代に外国を旅したことによって、新しい場所が作品に現れるようになります。室内で完成されるとしても、彼にとって風景画とは戸外のものでした。「アトリエの和らいだ光の中では想像すらできない色調を用いるようになる。風景画家の手技(メチエ)とは何というものだろう! […]天気が変わってしまうから、10枚のうち完成できるのは1枚だけだ」。こうした困難にもかかわらず、画家は「自然との取っ組み合い」を断念することはありませんでした。

4章 “現代生活”を描く

1863年の有名な評論「現代生活の画家」のなかで詩人ボードレールは、画家が描くべきは過去ではなく現在であると主張し、「移ろいやすく、儚く、ささやかなもの」を捉える素早い描写を称賛しました。ルノワールが描いた現代は、ダンスホールや酒場、カフェ、郊外の舟遊びといった、19世紀のパリ生活に特徴的なものばかり。小説家のゾラは、そんなルノワールの作品を「現代的な側面の幸福な探求」と形容しました。
 この章は、モンマルトルの庭や、パリ郊外のセーヌ河畔での余暇を描いた作品からはじまります。そして、画家が生きた時代への関心を最もよく示すのが、他ならぬ《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》。140年前に描かれたこの絵は、ダンスホールで陽気に踊る市井の人々の喜びを今に伝えてくれます。本作の理解を深めるために、同様のモティーフを描いた同時代の作品に加え、画家の次男で映画監督のジャン・ルノワールによる映画も紹介します。最後に、画家が舞踏会というテーマに長く魅了された証である、2点のダンスの大作で本章を締めくくりましょう。

5章 「絵の労働者」: ルノワールのデッサン

印象派の画家たちは、素早いタッチで、見たものを直接描くという美学を絵画に持ち込むことで、伝統的な方法やヒエラルキーを覆しました。その一方でルノワールは、印象を描きとめ、構成を練り、新しいアイデアを試すためのデッサンにも熱心に取り組んでいます。また若い頃、磁器の絵付け職人として腕を磨いた彼は、画家になっても地道な修練をおろそかにしませんでした。ある日、文学者たちとの昼食の席で、彼はこんな風に語ったそうです。「結局のところ、私は自分の手で働いているよ。だから労働者さ。絵の労働者だね」。

6章 子どもたち

ルノワールが子どもを描いた作品には、《ジュリー・マネ》のように注文に応えたものと、3人の息子ピエール、ジャン、クロードをモデルに自発的に描いた作品という、2つの種類があります。子どもたちは、幾度となく彼らを描き出す父の絵筆のもとで成長していきました。のちにジャンは、家庭を持ったことがルノワールの制作にとってどれほど重要であったかを強調しています。「夢中になって息子をデッサンしながらも、自分自身に対して忠実でありたいと願っていたから、この生まれたばかりの肉体のビロードのような感触を表現するという単に外面的な関心を超えて、自分の内的世界を再構築しはじめていたのだ」。

7章 「花の絵のように美しい」

かつてルノワールは、ドラクロワによる戦闘図を目にして「花の絵のように美しい」と称えました。彼にとって花の絵は美の基準だったのです。同時に、それは絵画市場の需要に応えるための制作であり、友人たちへの贈り物であり、実験の場でもありました。「花を描くと頭が休まります。モデルと向き合うときの精神の緊張とは別物なの


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