1894年にド・ベリオが亡くなると、 《印象、日の出》などのコレクションは娘のヴィクトリーヌが相続します。この段階でもまだ《印象、日の出》はモネの代表作とは認められておらず、ド・ベリオ・コレクションの中では《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》や《テュイルリー公園》などに展覧会への出品依頼が集中していました。
復権、そして印象派のアイコンへ
1939年、第二次世界大戦の戦火がパリに迫ると、ヴィクトリーヌは父から相続した美術品をパリ近郊の城に避難させました。戦後、これらの作品はマルモッタン美術館に展示されますが、《印象、日の出》が大きな注目を浴びることはありませんでした。1950年代後半になると印象派の研究が盛んになり、ジョン・リウォルド著『印象派の歴史』などを契機に、《印象、日の出》が印象派の起源として広く認められるようになります。しかし、マルモッタン・モネ美術館が所蔵する《印象、日の出》はこれとは別の作品であると主張する研究者もいました。結局、《印象、日の出》の初展示から100年後の1974年、アンヌ・ディステルが徹底的な調査を行い、マルモッタン・モネ美術館が所蔵する作品が「印象派」という呼び名のもとになった作品であると発表し、《印象、日の出》は近代絵画史上もっとも重要な作品のひとつとなったのです。
展示期間
東京展 2015年10月20日~12月13日
福岡展 2015年12月22日~2016年2月3日
京都展 展示なし
新潟展 展示なし
サン=ラザール駅は、セーヌ川沿いのパリ近郊の町やノルマンディーの海岸に向かう汽車の発着駅で、当時のフランスでもっとも多くの人が利用していました。モネが5歳から18歳までを過ごしたル・アーヴルや当時住んでいたアルジャントゥイユもこの路線上にあり、彼もよくこの駅を利用していました。
モネは駅の近くに小さな部屋を借り、鉄骨にガラス屋根の近代的な駅舎や、勢いよく蒸気に包まれる線路や汽車など、多様な姿を見せるサン=ラザール駅を何度も描きました。ルノワールによると、モネは制作のために、一番いい服を着て駅長に面会し許可をとり、汽車を止め、ホームの人々を立ち退かせ、描きたい蒸気のために大量の石炭を汽車に詰め込ませたそうです。本作品では、汽車はほんの少し頭をのぞかせるだけで、その近くの人物も粗い筆触で描かれています。モネは、近代的な駅舎でも汽車でもなく、立ち上る蒸気と目に見えない匂いや熱気、駅の雰囲気を画面に定着させました。
http://www.ntv.co.jp/monet/works/index.html