モネのマネ【印象派総合スレ】 #440

440名無しさん@Next2ch:2015/09/19(土) 11:21:43.78 ID:???

1894年にド・ベリオが亡くなると、 《印象、日の出》などのコレクションは娘のヴィクトリーヌが相続します。この段階でもまだ《印象、日の出》はモネの代表作とは認められておらず、ド・ベリオ・コレクションの中では《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》や《テュイルリー公園》などに展覧会への出品依頼が集中していました。
復権、そして印象派のアイコンへ
1939年、第二次世界大戦の戦火がパリに迫ると、ヴィクトリーヌは父から相続した美術品をパリ近郊の城に避難させました。戦後、これらの作品はマルモッタン美術館に展示されますが、《印象、日の出》が大きな注目を浴びることはありませんでした。1950年代後半になると印象派の研究が盛んになり、ジョン・リウォルド著『印象派の歴史』などを契機に、《印象、日の出》が印象派の起源として広く認められるようになります。しかし、マルモッタン・モネ美術館が所蔵する《印象、日の出》はこれとは別の作品であると主張する研究者もいました。結局、《印象、日の出》の初展示から100年後の1974年、アンヌ・ディステルが徹底的な調査を行い、マルモッタン・モネ美術館が所蔵する作品が「印象派」という呼び名のもとになった作品であると発表し、《印象、日の出》は近代絵画史上もっとも重要な作品のひとつとなったのです。

展示期間
東京展 2015年10月20日~12月13日
福岡展 2015年12月22日~2016年2月3日
京都展 展示なし
新潟展 展示なし
サン=ラザール駅は、セーヌ川沿いのパリ近郊の町やノルマンディーの海岸に向かう汽車の発着駅で、当時のフランスでもっとも多くの人が利用していました。モネが5歳から18歳までを過ごしたル・アーヴルや当時住んでいたアルジャントゥイユもこの路線上にあり、彼もよくこの駅を利用していました。
 モネは駅の近くに小さな部屋を借り、鉄骨にガラス屋根の近代的な駅舎や、勢いよく蒸気に包まれる線路や汽車など、多様な姿を見せるサン=ラザール駅を何度も描きました。ルノワールによると、モネは制作のために、一番いい服を着て駅長に面会し許可をとり、汽車を止め、ホームの人々を立ち退かせ、描きたい蒸気のために大量の石炭を汽車に詰め込ませたそうです。本作品では、汽車はほんの少し頭をのぞかせるだけで、その近くの人物も粗い筆触で描かれています。モネは、近代的な駅舎でも汽車でもなく、立ち上る蒸気と目に見えない匂いや熱気、駅の雰囲気を画面に定着させました。
http://www.ntv.co.jp/monet/works/index.html


スパムを通報

このレスがスパム・荒らしである場合は以下のボタンをクリックして通報してください。
(同意できない意見などに反対票を投じる機能ではありません)
通報

このスレッドを全て表示


レスを書き込む

このスレッドはID非表示です。