モネのマネ【印象派総合スレ】 #439

439名無しさん@Next2ch:2015/09/19(土) 11:20:54.57 ID:???

特別出展
ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作
マルモッタン美術館の印象派コレクションの誕生

ジョルジュ・ド・ベリオ(1828-1894)は、ボッティチェリやフラゴナールのほか、19世紀のドラクロワ、バルビゾン派の作品も収集していましたが、彼の名を収集家として著名なものとしたのは、まだ評価の定まらない初期の印象派の作品を積極的に評価した点にあります。彼はモネら、印象派の画家たちの友人であり医師で、ときには経済的な支援のために彼らの作品を購入していました。1877年に《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》を300フラン、1878年の競売で、《印象、日の出》を210フランで入手します。その後も、モネだけでなくルノワールやピサロらの作品を収集し、印象派コレクションを充実させていきました。彼の死後、作品を相続した娘ヴィクトリーヌは、1940年、このうち11点をマルモッタン・モネ美術館に寄贈します。これらの作品は、同館の印象派コレクションの基礎となりました。


展示期間
東京展 2015年9月19日~10月18日
福岡展 2016年2月4日~2月21日
京都展 2016年3月1日~3月21日
新潟展 展示なし
早朝のル・アーヴルの港に昇る太陽と、朝もやの中でその光で染められる空と海。前景には小舟が浮かび、後景には高いマストをもつ大型の船が表されています。船や人物は素早い筆触で曖昧に描かれています。モネが描きたかったのは、港の湿気を含んだ空気や昇り始めた太陽の光といった、留めておくことが難しい印象そのものだったのでしょう。しかし、このような筆触が残る画面は、未完成の作品とさえ受け取られる時代でした。本作品は、1874年「画家、彫刻家、版画家等による共同出資会社」による第1回展覧会で展示されます。この展覧会に対して批評家ルイ・ルロワが4月25日の「ル・シャリヴァリ」に発表した「印象派の展覧会」という評論をきっかけに、モネら新しい表現の画家たちは「印象派」と名付けられ、この展覧会はのちに第1回印象派展と呼ばれるようになりました。

コラム|《印象、日の出》、歴史的傑作となるまで


《印象、日の出》の誕生
1872年、クロード・モネは、自身が幼少期から18歳までを過ごしたフランス北西部の町、ル・アーヴルの港に日が昇る風景をカンヴァスに描きました。モネの素早く、自由なタッチによってモティーフは曖昧に見えます。
 この作品は、1874年に開かれた「画家、彫刻家、版画家等による共同出資会社」による第1回展覧会で初めて展示されますが、タイトルを尋ねられるとモネ自身も明確な答えを持っていませんでした。結局モネは、その場で「印象」と名付けて欲しいと答え、《印象、日の出》が誕生しました。
忘れられた《印象、日の出》
《印象、日の出》は1874年の展覧会で公開されましたが、「描きかけの壁紙の方が完成度が高い」と揶揄する記事が一部の新聞に掲載されたものの、ほとんど注目されませんでした。一方で、「印象派」という言葉もこの時生まれ、1874年の展覧会に出展したモネのほか、ルノワール、セザンヌら画家仲間たちの呼び名となったのです。「印象派」という呼び名は急速に広まりましたが、そのもととなった《印象、日の出》は徐々に忘れられていきました。1878年に競売にかけられましたが、目録に掲載されたタイトルは《印象、日の入り》。ジョルジュ・ド・ベリオ医師が落札しますが、価格はわずか210フランでした。
 1894年にド・ベリオが亡くなると、 《印象、日の出》などのコレクションは娘のヴィクトリーヌが相続します。この段階でもまだ《印象、日の出》はモネの代表


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