『中央銀行の独立性と戦時下の中立性』
・国際決済銀行(BIS)は第一次世界大戦後のドイツ賠償金支払いを管理する目的で1930年に設立。
・BIS: 中央銀行の中の中央銀行 /各国中央銀行を指導し、グローバル金融ネットワークの中核を担う。
https://i.postimg.cc/52fcsK6n/BIZ-Basel-002.jpg
(Yago Veith 2003)
・オーエン・D・ヤングの「ヤング案」に基づき、各国中央銀行が出資。
・BISの初代総裁にはロックフェラー財閥系のチェース・ナショナル銀行の元頭取で、連邦準備銀行総裁のゲーツ・W・マッギャラー[Gates W. McGarrah]が就任した。 老練かつ如才のない銀行家だったマッギャラーは一九三三年に総裁を辞任している。
・二代目のBIS総裁は、醜聞記事を売り物にしていたニューヨーク・ワールド紙の元記者で、派手好みのレオン・フレーザーだった。この四十三歳の男は元々、街頭演説家、地方周りの劇場の支配人や女装の喜劇俳優をしていた人物である。フレーザーは財政や経済の知識をほとんど持ち合わせていなかったが、財界のお偉方の面々と強力なコネがあり、また忠誠心や国境を認めない、強烈な拝金主義者でもあった。ヒトラーが権力を握ってからの最初の二年問に、BISを通じてナチスに融資をすることで、フレーザーは影響力を強めていった。
https://i.postimg.cc/76hwmstp/publicdomainq-0001289.jpg
・一九三五年にマンハッタンにあるファースト・ナショナル銀行の本社社長に就任した後も、フレーザーはBISの事業活動に対して影響力を巧妙に行使し続けた。このことは一九四〇年代まで続いたのである。
・1939年9月に第二次世界大戦が勃発した後、BIS理事会は 戦時中も銀行を開設し続け、中立を維持した侭 営業を続けることを決定。
・銀行を維持するために1930–31年の対ドイツ債券投資に関する利息支払いを戦争中も受け続ける必要があり、ベルギーやオランダなど占領地から略奪した金をドイツが溶解加工(リメルト)して出所を隠した上でBISに渡していた。
https://i.postimg.cc/VsBPXcNd/camp-7432553-640.jpg
・トーマス・H・マッキトリック(アメリカ人、第3代BIS総裁)
→戦時下のBISを率いた人物。
→アメリカ国籍ながら、ナチスや枢軸国代表と共に会議を進行。
→戦争を超えて金融界をつなぐ象徴的存在。
・レオン・フレーザー(第2代BIS総裁)
→元新聞記者で金融知識は浅いが、米財界とのコネと拝金主義で台頭。
→ナチスへの融資を積極的に推進。
→1935年以降は米国銀行界で要職を得つつ、BISに影響力を残す。
・その他の第2次大戦中の国際決済銀行役員
→IGファルベン社長ヘルマン・シュミッツ、ゲシュタポ高官シュレーダー男爵など、ナチス中枢の経済人が名を連ねる。
・1941年、ナチ占領下のブリュッセルに「有価証券発行銀行」が設立された。この機関はナチス協力者によって占領費用を賄う目的で作られたものであったが、アメリカ人の国際決済銀行(BIS)総裁マッキトリックは同銀行にBIS口座の開設を許可してしまう。これは自ら掲げた「ナチ占領下の新機関との取引を避ける」という中立原則に反するものであった。
https://i.postimg.cc/L6ckSGz3/auschwitz-971903-640.jpg
・BISは、1930–31年の対ドイツ債券投資に関する利息支払いを戦争中も受け続け、その大半は 金(ゴールド)で支払われていた。
→この金の一部は、ベルギーやオランダなど占領地から略奪されたものであり、ドイツが溶解加工(リメルト)して出所を