〓『演技としての性行為』『演技としての殺人』などを業務行為とする芸能人は、クランク・インからクランク・アップまで役柄に成り切るための自己暗示を掛ける必要があり、この時期に一般人との接触はなるべく避ける必要がある。
>『渥美清』Wikipedia
>渥美は亡くなるまでプライベートを芸能活動の仕事に持ち込まなかったため、自宅住所は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされておらず、「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次や、親友として知られる黒柳徹子、関敬六、谷幹一でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであった。
〓役柄に成り切るための自己暗示を掛ける必要があり、他人との接触はなるべく避ける芸能人の典型が渥美清さんであった。
〓『演技としての性行為』『演技としての殺人』など虚構の世界に人生の多くの時間を費やす芸能人は、プライベートな時間といえども役柄に没頭するので、女子アナを含む一般人との接触は避けるべきなのである。
〓一般人の目から見てTOKIOの山口達也クンと国分太一クンの人格が壊れてしまったのは、ゴールデン・タイムに全裸で絡み合うシーンを多く見せた日テレ・ドラマ『同窓会』(1993年)で西村和彦氏と共演したことが大きく影響している可能性がある。
〓もし日テレ・ドラマで西村和彦氏との共演が無ければ、山口達也クンも国分太一クンも、城島クンや松岡クンと同じように一般人の目から見て『普通』でいられたかもしれない。
〓TOKIOの中で国分太一クンが特に怒りっぽいのも、よみうりテレビ『せいぎのみかた』(1997年)、TBSドラマ『広島 昭和20年8月6日』(2005年)に出た影響ではないかな。
〓一般人が実生活における過去の実体験の上に人格を形成するのとは対照的に、芸能人(役者)は演じた虚構世界での役柄の記憶の上に人格を形成する。
〓人生の多くの時間を虚構の役柄を演じることに費やすのだから、これは仕方がない。
〓新米の芸能人なら実社会に戻ることも比較的簡単かもしれないが、芸能人(役者)として年季を積み重ねるに従って一般人の住む世界から どんどん乖離して行ってしまうのだろう。
〓ベテラン芸能人を支える制作会社のスタッフは、芸能界、役者の世界とは そういうもんだと割り切った上で それでも芸能界でスタッフの仕事を続けたい人だけが その職業に留まるべきである。
〓芸能界、役者の世界とは そういうもんだと割り切れない人間は速やかに制作会社のスタッフの仕事を辞すべきである。