数学で「ライバル研究室から何度と なく手痛い打撃を受け」も有り得ないので、「卒論」に戻して、 全体として以下のように変える:
「完璧な論文などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
僕が卒論提出に追われているころ偶然にも知り合った助手は僕に向ってそう言った。
僕がその本当の意味を理解できたのは今年の4月1日のことだったが、 少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。 完璧な論文なんて存在しない、と。
しかし、それでもやはり借りたデータで投稿という段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。 一学生に扱うことのできる領域はあまりにも限られたものだった からだ。 研究だけでなく論文作成においても悩ましい問題は多い。 例えば、先週 officeの図をまともにepsファイルに変換する方法やっと見つけた。 まず欲しい部分だけPDFで保存してそれをInkscapeで読み込んでページサイズを図に合わせ、epsで保存。 ghostscriptのトリミングは全く効かなくて困ってたが使わずに済んだのでよかった。 とにかくepsconvとかでラスタ画像にするのは一番手っ取り早いけどせっかくベクタなのにもったいない。 こんな問題にばかりかまけていては実験パートナーと会っても、肝心の研究テーマについては何も触れないかもしれない。 そういうことだ。
2年間、我が研究室はそうしたジレンマを抱き続けた。 --- 2年間。長い歳月だ。
もちろん、あらゆるものから何かを学ぼうとする姿勢を持ち続ける限り、留年を起こすことはそれほどの苦痛では ない。これは一般論だ。
4月を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕たちはそういった対応を取ろうと努めてきた。おかげでライバル研究室から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。
様々な留学生、聴講生がやってきて我々に語りかけ、まるで橋を渡るように音を立てて研究室の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。我々はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。
そんな風にして我々は Reject後 最初の月を迎えた。 (つづく)