>>61 はUZのリード奏者がダブルリードのベルクマンからシングルリードの Descheemaeker に変わったミニアルバムからだけど、それまで木管やオルガン、ピアノなんかのアコースティック楽器のみをリードとしてたのに、電子キーボード(DX7)を導入してファンからの不評を買ったんだな
でも、リード木管がシングルリードに変わった事で薄くなった中音域をカバーして持続音を提供するのに電子キーボードが必要になったんだろう
ピアノでは持続音が出せずオルガンだとアタックが弱い
控え目なドラムとベースはリズムパートと云うより装飾音の提供が主で、配置とアクセントが吟味されまくってる
こういった音の話法を精緻に積み上げる事で終盤のカタルシスを効果的に鳴らせるんだな
当時のレコメンテッドレーベル日本支部のイースタンワークスからリリースされたミニアルバムの一曲目のコレは次の4th 、UZED の、特に1曲目とラスト5曲目の習作的な造りになってて、
例えて云えば完全オートメーションで核ミサイルを組み上げて標的地で爆縮・爆裂するまでの工程の様な精密機械の動作とそれがカタルシスに至る、クリムゾンにもマグマにも創り出せなかった音の凝縮と密度を持つ作品に繋がってるんだな
ラテンもジャズもアフロも、それが要素としてロックに組み込まれてたとしても、それが動的なインパクトやカタルシスの為に機能するか否かが要点なんであって、
その要素が含まれてたり細かな技法のルーツとしてあるか否かを争っても、そんなハナシは所詮枝葉でしかないって事ですよ