上杉の著書『結果を求めない生き方』(P29~P31)によれば、
大学卒業予定の1991年にNHKの就職試験に落ちたため、
わざと留年して翌1992年に内々定を得た。
同年、「10月1日の正式内定を待って、研修扱いとして一足早く
渋谷のNHK放送センターで働くことになった」が、
「大学のミス」で取得済みの単位が未登録となり、
「文部省から天下り役人」である大学の事務局長が
「自分達のミスを隠すために」再び留年になってしまったという。
そのため内定保留のまま勤務し、1994年に大学を卒業したとするが、
その後も正式採用されず、2年1ヶ月間NHKで勤務したとしている。
なお、平沢勝栄からの名誉毀損訴訟(後述)で、
NHK「記者見習い」という勤務実態が東京地裁に認定されたとしている 。