1992年春、NHKを受験し、夏に内々定、秋には記者職として正式内定。
なお、前年の受験では落ちており、新卒でなければ採用されない仕組み
のためにわざと留年しており、この年の秋には単位を取得済みであった
ため、10月より来春採用予定者として、渋谷のNHKで非正規スタッフと
して勤務を開始。朝のニュース番組「モーニング•ワイド」の
リライター業務が担当であった。
テレビ東京の『やりすぎコージー』や、東京MXテレビ『5時に夢中!』では
「黒い池上彰」と名乗り、NHKに入社し、研修講師が報道局の池上彰だった
と話している。しかし、上杉は後に町山智浩とのネット討論の場で
NHKには正式採用されていなかった事を認めている。
1992年~ 1994年「NHK報道局勤務」を自称していたがNHK広報から
抗議を受け、のちに「内定」のみで卒業できず、アルバイトであったと
自著で認める。さらにそのアルバイトも「ほとんど行ってない」と語った。
しかしインタビュー記事などでは『モーニングワイド』で校閲をしていた、
内勤記者だったと語っている。