主義団体とそれに対抗する反対派との衝突だろう。
死者まで出すに至ったこの事件を受けて、大統領は「憎悪と分断はただちに終わらせなくてはならない」等のコメントを出してはいるものの、こうした対立の構図はそう簡単には変わらないだろう。
白人至上主義なんて時代遅れでとんでもない差別的な思想だ――これは現代のアメリカのみならず世界にとっての常識でもある。が、一方でこうした「政治的に正しい」言説の行き過ぎによって息苦しさを感じた人たちが、トランプ支持に回った、というのは従来からよく指摘されるところである。
アメリカの「リベラル」は日本のそれよりも「先進的」とも言えるし、日本人には過激にも見えるだろう。元財務官僚で昨年アメリカのハーバード・ロースクールを卒業した山口真由氏は、新著『リベラルという病』の中で、その驚くべき実情をレポートしている(以下、同書より抜粋、引用)。
人種間を含むさまざまな人たちの「平等」を求めるリベラルは、「ポリティカル・コレクトネス(PC)=政治的正しさ」を追求し続けてきた。これは人種的、性的、性指向的、いかなる意味でも少数者を差別しないことをいう。
日本でも「看護婦」ではなく「看護師」、あるいは「ビジネスマン」ではなく「ビジネスパーソン」という表現が用いられるようになった背景にはPCの思想がある。
LGBT
このPCの最たるものとして挙げられるのが「LGBT」表現だ。
Lは「レズビアン」、Gは「ゲイ」、Bは「バイセクシャル」、Tは「トランスジェンダー(またはトランスセクシャル)」を示す。かつてよく耳にした「ホモ」という表現は差別的だということで現在は使われていない。というあたりはご存知の方も多いだろう。
しかしPCの最先端にあるアメリカでは、「LGBT」だけでは、豊富なセクシャリティをカバーしきれない、ということからさらなる表現が生みだされている。
なぜそんな表現が必要かといえば、「LGBT」に含まれない少数派からすると、「LGBTの権利」という表現そのものが、自分を無視する差別表現になり、それはPCの観点から正しくない、という理屈である。
そのため、最近では「LGBTQQIA」なる言い方もされるらしい。
Qは「クイア」で直訳すれば「奇妙な」で、もともと否定的なニュアンスで用いられていたが、そのうち「奇妙でいいじゃん。楽しいじゃん」と「クイア」に分類された側から、積極的に用いられるようになった。
そして「同性愛とか異性愛とか性行動で我々を分類するな、我々は普通とは違っていて、個性的で素晴らしいんだから」という主張と、そう主張する人達の総称になった。
次のQは「クエスチョニング」。自分の性自認や性的指向が定まっておらず、疑問を持ち続けている若者を指す。
Iは「インターセックス」。日本で言うところの性同一性障害など。
最後のAは「アライ」。ストレートでありながら、ゲイの権利を理解して一緒に戦う人には、「同盟」を意味するアライという分類が与えられる。
LGBTQQIAAPPO2S
これだけでも覚えるのに一苦労だが、さらには「LGBTQQIAAP」という表現が、より正確なのだという。
加わったAは「アセクシャル」。異性にも同性にも恒常的な恋愛感情や性的欲求を感じることがない人のこと。
Pは「パンセクシャル」。個性によって他人に魅かれるのであって性別を超越する人を意味する。バイセクシャルとの違いは、男女という性別の違いを無視しているか否かだという。そもそも性別が2つなんて