アニメ聖地88カ所はここだ 「君の名は。」飛騨市など選定 アニメツーリズム協会
「君の名は。」ハリウッドで実写映画化!J・J・エイブラムスらがプロデュース
アニメ聖地88カ所はここだ 「君の名は。」飛騨市など選定 アニメツーリズム協会
「君の名は。」ハリウッドで実写映画化!J・J・エイブラムスらがプロデュース
第二次大戦、東京大空襲[5]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。
お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。
真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。
世界での興行収入は3.55億ドルにも及び、千と千尋の2.75億ドルを超えて日本映画の歴代1位となった。
彼女が授業を行うシーンでは『言の葉の庭』と同様に万葉集(巻十 2240番歌)が引用されていて、本作のキーワードの一つとなっている。
万葉集(巻十 2240番歌) 万葉集第十巻、2240番の和歌
「誰そ彼と 我をな問ひそ 九月の~」
「君待つ我を」 「君待つ我そ」
についてですが、この歌の最後の一語は「そ」か、「を」か、どちらが正しいのでしょうか?
どちらが正しいかは研究者によって異なります。
万葉集の原文では、その部分は「君待吾」と書かれており、送りがなや助詞などは記されていません。
そこで、「君待つ我を」となったり「君待つ我そ」となったりしてしまうのです。
昔の時代からどちらに読むか分からなくなっており、「を」や「そ(ぞ)」をメモした写本が残っています。
日本の古典、小野小町の和歌
「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」 (古今和歌集)
と、男児を「姫君」として女児を「若君」として育てる『とりかへばや物語』を設定に取り込んだ[34]。
虹色ほたる
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5314372.html
2018年01月04日 -- 君の名は。の時間軸が3年ズレてるのをなんで主人公は気付かないの? スマホ見たらすぐわかるじゃん
1: 名無しさん@涙目です。(pc?) (6段) [US] 2018/01/03() ---- 【今夜放送】『君の名は。』が待望の地上波初放送!
お互いの情報をやり取りするうちに3年差があれば、「あれっ?」って当然出てくるでしょう?
「えっ、SMAP解散すんの!?」みたいな(笑)。で、それについてはそれぞれ記憶をすぐ忘れちゃう。
記憶が曖昧になりがちっていう、まあタイムパラドックス的な説明が一応つけられなくもない
(フォロー的な設定があることにはある)。
どっちが3年前で
どっちが3年後なん?
女が3年前なら出会ったら年増でうわってなるなw
そしてラストの階段での瀧と三葉の再会シーンは、
2022年 ----- ティアマト彗星の隕石落下から9年の歳月が流れていました。
瀧は23歳の社会人1年生 --- 三葉は26歳の社会人
【アニメ】業界の低賃金は手塚治虫のせいなのか? 見えてきた意外な真実
■■■■ 悪いのは手塚治虫? ■■■■ 日本のアニメについて語られるとき、そこで働く人たちの低賃金が問題にな。 アニメが好きでその仕事をしているので、いわゆる「やりがい搾取」になっている、と。
【写真】テレビ朝日『モーニングショー』の玉川さんを見ていつも思うこと
それはアニメのみならず、映像の世界全体に言えるようでもある。 しかし映像全体であれば、不況でテレビ局の業績がどうこうとか、とくに特定の個人のせいにはされないが、アニメに関しては、いまだに「手塚治虫が『鉄腕アトム』を安く作ったおかげで、アニメーターは低賃金になった」と、亡くなって30年が過ぎている手塚治虫のせいにされている。
本当にそうなのだろうか。
『アニメ大国建国紀1963-1973』を書いた動機のひとつは、この「手塚治虫疫病神説」を検証し、覆したいとの思いがあったからだ。 ひとは断片的な「事実」をもとに、「物語」を捏造してしまいがちだ。
手塚治虫疫病神説もそのひとつであり、この「誤った歴史」を拡散させたひとりが、宮崎駿である。
1989年に手塚治虫が亡くなったとき、マンガ専門誌「Comic Box」1989年5月号、「特集 ぼくらの手塚治虫先生」で、宮崎駿はインタビューに応じ、手塚を絶賛する記事で埋め尽くされるなか、ただひとり、全面否定した。
そのインタビュー、『手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と決別した』は、宮崎駿の著作集『出発点 1979~1996』にも収録されているので、「一時の感情、何かの勢いでつい喋ってしまった」失言ではない。宮崎が自分の発言として広く読んでほしいと望んでいるものとみなしていい。
宮崎はこう発言している。 〈アニメーションに対して彼(手塚治虫)がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。〉
〈手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。〉
ある意味では、勇気ある行為である。亡くなった人、しかも業界で最大の権威を持つ人物の、雜誌の追悼特集での全面否定なんて、普通はできない。お通夜に行って、「あの人はひどい人だ」と言うようなものだからだ。
宮崎駿がいかに特異な人であるかを示す。 (中略。全文はソース記事にて)
■■■■ 宮崎さんの喋ったことは、みんな間違い ■■■■ 『鉄腕アトム』はTV局から支払われる放映権料だけでは赤字でも、副収入で利益が出ていた。その利益は虫プロの社員に給料として還元されていた。社員は独立できるだけの給料をもらっていた。社員の待遇がよかったため、虫プロの経営は悪化し、倒産した――。
これが虫プロの歴史の概略であり、そのどこにも、手塚治虫がアニメ労働者を低賃金で働かせた事実はないのだ。
『鉄腕アトム』のおかげで、長編アニメをじっくり作れなくなったのも、宮崎の事実誤認というか、捏造である。東映動画の経営悪化、長編アニメ軽視への転換という経営判断のどこに、手塚治虫が関係していたというのか。
宮崎は〈手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです〉と言ったが、同じように、「宮崎さんが手塚治虫について喋っていることは、みんな間違い」なのだ。
中川 右介(編集者) 現代ビジネス 8/30(日) 9:01