前作『MIGNONNE』リリース後、大貫妙子は約二年間の沈黙期に入る。その理由を大貫は
「『ミニヨン』がまわりの期待に反し売り上げがやや不調であったことや、プロデューサーと折り合いをつけることができなかった疲れから、もう音楽を仕事にしていくことはやめようと考えていた。シュガー・ベイブというサブカルチャーからの出発はヒットを生む音楽業界のパワーには馴染めないものだったし、ソロになってからの私も、シンガー・ソング・ライターとして時代の趨勢に身を委ねることができなかった」[1]という。
その間、山下達郎のコンサート・ツアーにバック・コーラスとして参加していたほか、CMソングの制作やコーラスでのスタジオ仕事を行っていた。またその間に、他アーティストへの楽曲提供も行っていたが、それについては
「採用されたのは一曲か二曲くらいですが、本当は何十曲と書いているんです。毎日毎日書き直しの連続で、何でこんなことやってるんだろうと思いながらも、聴く人のことを考えて分かりやすいものを書くというのはどういうことだろうということをすごく考えまして、今まで全く人のことを考えてなかった自分に気がついたわけですよね。人にお金を払っていただいてレコードを買ってくれる人がいなかったら仕事はできない。それでもう一回、ちゃんとやってみたいというかね、音楽を仕事としてちゃんとやろう。改めて決心したのであります」[2]という。