共に民主党の李在明代表の近視眼的国防・外交哲学 #14

14短編小説『春を告げる声 済州島にて』:2025/05/03(土) 19:23:44.80 ID:terixXna

しかし、日本人が引き揚げ、上海で大韓民国臨時政府を樹立していた李承晩がソウルに乗り込んできた時から、島の空気は一変した。

1948年8月の大韓民国樹立宣言を前に、李承晩は、社会主義者の朴憲永が率いる南労党の粛清を強行した。

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李承晩の一派は、南労党の残党を追い、済州島にまで押し寄せてきた。

そこで、南労党に協力したと疑われた島民たちは、有無を言わさず家を焼かれ、若い女性たちは兵士たちに凌辱され、家族の目の前で殺害された。

李承晩の一派は、「疑わしきは厳罰に処す」という名の元に、無辜の島民を次々と血祭りに上げていったのだ。

ソヨン、ジウ、ソヒョンの祖父母たちは、まさに地獄絵図のような光景を目の当たりにし、一刻も早くこの島から逃れなければ、自分たちの命も危ないと感じた。

日本に密航した時点で、彼らが南労党の協力者でなかったことは明白だった。ただ、故郷を追われた人々だった。

大阪の鶴橋に小さな部屋を借り、密航者であることが露見せぬよう、息を殺すようにひっそりと暮らした。

文化も違う異国で、いつ見つかるか分からない不安に怯えながら、それでも生き延びるしかなかった。

それから間もなく、1948年8月、ソウルでは盛大な大韓民国樹立式典が催され、李承晩が初代大統領に就任した。三人の祖父母にとって、これが「民族独立」の全てだった。

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自分たちを故郷から追いやり、多くの人々を虐殺した人物が、新しい国の指導者として祭り上げられる。

その現実は、彼女たちにとって到底受け入れられるものではなかった。

「民族自決」。「植民地独立」。聞こえは美しいが、済州島民にとってのそれは、国粋主義、ファシズム、ナチズム、排外主義、そして軍事独裁主義と表裏一体の、まさに邪悪なイデオロギーだった。

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日本の植民地だった頃の、あの穏やかで平和な暮らしを取り戻したい。その一念で、彼女たちの祖父母たちは命懸けで日本に密航したのだ。


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