【伊藤詩織さん事件】現場ホテルのドアマンが目撃した山口敬之の「連れ込み現場」 #2

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/25(水) 21:15:57.23 ID:D2RqwZiX

 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。

 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。

 ドアマンは、その理由について、〈裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事裁判が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ〉たからだと綴っている。

 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。

 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。

 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。

 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌(「週刊新潮」)の取材で認めている。

 中村氏は菅義偉官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。ベッタリ記者逮捕の中止を命令する一方、安倍総理元秘書の子息による単なるゲームセンターでのケンカに捜査1課を投入し、相手を逮捕するという離れ業もやってのけたのは本誌既報(19年11月28日号)の通りだ。官邸絡みのトラブルシューター・守護神・番犬たる部長。その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴と判断。詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。

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