沖縄戦から72年 「慰霊の日」 #1

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2017/06/23(金) 08:03:14.11 ID:e6SzZF8O

6月23日 4時01分

沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から72年となる「慰霊の日」を迎えました。激戦地となった沖縄本島南部の糸満市にある平和祈念公園には朝早くから遺族たちが訪れ、戦没者を悼み、平和を願う祈りをささげています。

太平洋戦争末期、昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で沖縄県民の4人に1人が犠牲となり、日米両軍を含めた戦没者は20万人を超え、被害の全容は今もわかっていません。

沖縄県は日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としていて、糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族たちが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で手を合わせています。

「平和がいちばん」
沖縄戦が終わる間際に父親が撃たれて亡くなった、沖縄県豊見城市の石原ヨシ子さん(82)は、父親の名前が刻まれた平和の礎を訪れて手を合わせました。石原さんは「毎年、娘と2人で平和の礎を訪れています。父親は海岸沿いでアメリカ軍に撃たれて、遺骨は今も見つかっていません。平和がいちばんです」と話していました。
「戦争がなくなってほしい」
沖縄県糸満市の中学生、千葉悠平さん(13)は両親や兄弟など家族6人で、沖縄戦で亡くなったひいおばあさんの慰霊のために平和の礎を訪れました。
礎に水をかけて、刻まれた名前を丁寧に拭いたあと、花を添えて手を合わせていました。千葉さんは「安らかに眠ってほしいという気持ちで祈りました。平和が続いて戦争がなくなってほしい」と話していました。
「戦争が二度とないように」
沖縄戦の時、沖縄県糸満市にある平和祈念公園の近くの壕に避難したという沖縄県宜野湾市の宮城勝子さん(78)は、父と祖母、それに2歳の妹を亡くしました。宮城さんは「シリアなど今も世界各地で戦争が起きているのを見ると胸が痛いです。戦争が二度とないようにお願いをしました」と話していました。

故大田昌秀元知事の秘書が献花
「平和の礎」の創設に取り組み、今月12日に亡くなった大田昌秀元沖縄県知事が設立した研究所で秘書を務めていた41歳の女性は、大田氏の告別式で供えられた花を1輪手向けて手を合わせました。女性は「大田先生は天国でも平和を願い続けていると思うので、そのバトンを私たちがつないでいかないといけないと思います」と涙ぐみながら話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170623/k10011027471000.html

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