ロシアに残った日本兵「残ったこの片目で日本が見たい!」 ID:q9f6eBm8

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2017/04/29(土) 13:37:38.01 ID:q9f6eBm8

ロシア欧州部レニングラード州のポギ村に、ピョートルという名の一人暮らしの年金生活者が住んでいる。もし彼が、日本生まれのタナカ・アキオさんでなかったなら、何も驚くことのないロシアの片田舎の老人にすぎない。彼は今年89歳だが、70年も日本に戻っていない。しかし故郷を夢見る気持ちは大変強い。

中略

タナカ・アキオさんは、1927年北海道の江別に生まれた。父のタナカ・トミイチ氏は、江別と札幌に旅館を所有していた。母は、アキオさんが幼い時に亡くなっている。その後、父は再婚。アキオさんと継母との関係はうまくいかなかった。17歳になり学校を終えるとすぐ、彼は、志願して関東軍に入隊、彼本人の言葉によれば、前線では死を恐れぬ戦いぶりで、金の星の勲章をもらい、軍曹となった。1944年彼は、砲弾の破片で負傷し、片眼が見えなくなった。そして1945年8月、関東軍60万の将兵と共に、ソ連軍の捕虜となり、中国からハバロフスクに送られた。
タナカさんは週刊新聞「論拠と事実」のクルトフ記者に、終戦後の状況について次のように話している-

「10年間、ラーゲリで過ごした。第16収容所だった。他の軍人捕虜と一緒に、森林伐採作業をした。私達は、殴打されたりせず、食事も時間通り与えられ、扱いは良かった。その後、捕虜の解放が始まり、兵士達は船に乗って日本に帰還して行った。一方ほとんどすべての指揮官は、現地に残った。我々は、祖国に帰れば裏切り者として絞首刑となるか、銃殺されると信じていた。」

つづき
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