「・・・・・・・ 男女同じ授業を男女同じ服装で受けることになった結果、ブルマは消滅しました」(掛水さん)
↑ という事で、「1992年以降 一気に消滅」したのは「ジェンダーフリー運動」にも関係あるな。
「大正初期になると、くくり袴という、中央部分をとめて裾をくくる袴を着用することが増えてきました。そして大正末期頃からようやく洋式運動服となり、スカートのままか、スカートとズボンの組み合わせであるブルマを着用するようになりました。戦後、生理用品、化学繊維の発展とともに、ブルマはちょうちんブルマからぴったりブルマへと、長さや形、布地や下ゴムの有無などモデルチェンジを繰り返しながら学校体育着として生き続けましたが、1992年以降一気に消滅していきました」(掛水さん)
当時の女子らが自ら、ブルマは男性の性的な対象になるから嫌であるという声を上げ、消滅していったという。