又兵衛の最期、克明に 大坂夏の陣、豊臣方の書面発見 秀頼から拝領した脇差「行光」で家臣に介錯を頼む #4

4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2016/11/17(木) 20:46:49.58 ID:rOsVX+0U

書状
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20161117/20161117-OYT1I50022-L.jpg

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20161117-OYT1T50075.html

豊臣秀頼から贈られた脇差し「行光」で介錯かいしゃくを受けた経緯が記されており、専門家は「秀頼への忠誠心が読み取れる貴重な史料だ」としている。

又兵衛はやりの名手として知られ、大坂夏の陣に豊臣方として参戦して深手を負い、配下に介錯を命じたとされる。

書付(縦27・4センチ、横35センチ)は同じ内容の写し1通とともに、又兵衛の配下で戦った備前国(岡山県)出身の武将・金万平こんまへい右衛門えもんの子孫が保管していた。「後藤又兵衛討死之時」とする13行の文面には、「行光」で首を打ち、秀頼に又兵衛の折れた「指物さしもの」(旗か刀の意味)を渡して報告したことが記されており、金万平右衛門か、その子孫が残した記録とみられる。

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