介護殺人のその後 「そうか、あかんか。一緒やで」の息子は事件後、再び失職し自殺していた ID:ZDI8Tb52

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2016/01/05(火) 16:35:34.21 ID:ZDI8Tb52

<介護殺人その後>加害者も心に大ダ メージ 社会復帰に壁

毎日新聞 1月5日 9時40分配信

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6186478

介護殺人事件の加害者が事件から時間を経て自殺したり、体調を悪化させたりするケースが後を絶たない。
介護疲れに よってうつ状態だった人も少なくないとされており、社会復帰に向けた加害者の心のケアが課題として
浮かび上がる。【「介護家族」取材班】

2006年に京都市伏見区で起きた認知症の母殺害事件。
承諾殺人罪に問われ、有罪判決を受けた長男(62)が14年8月、大津市の琵琶湖で命を落とした。
親族によると、自殺とみられる。

確定判決によると、長男は06年2月、伏見区の桂川河川敷で車いすに座る認知症の母親 (当時86歳)の
首を絞めて殺害した。自らも刃物で首を切り自殺を図ったが、助かった。

長男は母親の介護のために会社を辞めて収入が途絶え、生活苦に陥ったとされた。
デイケアなどの介護費や約3万円のアパートの家賃も払えなくなった。
役所に生活保護の相談もしたが、「まだ働ける」と断られていた。

「もう生きられへん、ここで終わりや」と言う長男に「そうか、あかんか。一緒やで」と答える母親。
長男の裁判で、検察側は犯行直前の2人のやり取りを詳しく明らかにした。
被告の心情に寄り添うような検察側の姿勢もあり、事件は大きく報道された。

京都地裁は06年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。
裁判官は「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ」と長男に同情した。
長男も法廷で「母の分まで生きたい」と約束した。

それから約8年。長男はどう生活していたのか。
親族らによると、長男は裁判の後、滋賀県草津市の家賃約2万2000円のアパートで1人暮らしを始め、木材
会社で働いた。

部屋には母親と事件前に病死した父親の位牌(いはい)を安置する仏壇を置いたが、事件のことを口にすること
はなかった。
勤務先の同僚は「真面目に黙々と仕事をこなした」。
近所の男性は「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは」と話した。

13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなった。
自宅にも帰らず、行方が分からなくなった。
親族が警察に行方不明者届を出したが、14年8 月1日に遺体で見つかった。
その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった」。
親族の男性は毎日新聞の取材に無念さをにじませた。
男性によると、長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて
欲しい」というメモ書きが入っていた。所持金は数百円で預金はなかった。

以下ソース
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6186478

5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2016/01/05(火) 17:05:30.86 ID:ZDI8Tb52

【毎日新聞が調べた介護殺人の一覧】加害者の介護状況や動機など
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/01/05/20160105hpj00m040037000q/91.jpg


このIDをNGリストに追加する

今後このIDの書き込みやスレッドを表示したくない場合、以下のボタンをクリックしてください。
NGリストに追加

このスレッドは過去ログです。