歴史の闇に埋もれつつある韓国軍”第五種補給品”特殊慰安隊 #9

9番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/05/13(水) 21:45:31.46 ID:tpYLLg0h

北から連行された女性たちが韓国兵の「性奴隷」になった過去②

慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、
そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。

慰安隊の運営開始時期については定かではない。
ただ、設置目的が朝鮮戦争で 戦う韓国軍のためであること、前述の『後方戦史』に1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されていることから、
1951年までには運営が開始されたと推定される。
なお、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。

統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月ごとにまとめられている。
利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。
1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。
慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。

金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。
後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。

移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。
例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、
「24人用の野戦テントの内部をベニ ヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。

また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、
移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。

さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。

韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服 類、燃料など一~四種までで、
慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていたことを示している。
これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。

※SAPIO2015年6月号
2015.05.11 16:00
http://www.news-postseven.com/archives/20150511_321285.html?PAGE=2

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150511-00000010-pseven-kr

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