テストスレッド ID:9RiUh9UN

174名無しさん@Next2ch:2013/11/22(金) 15:28:11.91 ID:9RiUh9UN

★ビートきよし

 「テレビに出たいということしか頭になかった浅草での修業時代。苦しい生活だったけれど苦労とは思わなかったねぇ」

 芸能界にあこがれて、山形から上京したビートきよし(63)。浅草のストリップ劇場で芸人として基本を学び、夢を追っていた若い日々があった。

 「修業っていったって金がなくてさ。メシを食うためにナンパしてたよ。最初は洋食屋の娘に面倒みてもらってたよ」

 食べることをまずは確保。“腹が減っては修業ができぬ”の心境か。

 「4、5年は続いたかな。金のかかりそうな女はお断り。面倒をみてくれる女をさがすワケ。捨てられない程度にね」

 ストリップショーの合間に芝居とコント。悶々とした日々が続いた。

 「映画ばかり観ていたよ。同じモノを何回観てもしょうがないと寄席(松竹演芸場)に入ったら、売れっ子だったWけんじ師匠が出てたんだよ」

 寄席に出ればテレビ出演のチャンスがあると直感。漫才をやろうと自分のなかで決めた。

 「コントだと衣装が必要だけど、漫才ならスーツがあればできるしね」

 漫才を始め、名古屋・大須演芸場で月10日、1年間の出演が決まったが解散の憂き目。フランス座で一緒だった、ビートたけしに白羽の矢が立てられた。

 「一緒にコントをやってた仲だから声をかけたんだ。でも最初の漫才は全然ウケない。お客さんはウーともスーとも言わなかったね」

 たけしが機関銃のようにしゃべり倒す漫才は当時から変わらない。

 「お客さんは相方(たけし)の話を聞くことだけで精いっぱい。でも先輩の芸人さんたちには大ウケ。玄人はわかってくれていましたよ」

 コンビを組んだばかりの頃は、祭りの演芸会などの仕事ばかり。ギャラがカレーライス一杯、交通費だけでも、漫才師の仲間入りができたことが嬉しかった。

 「キャバレーの営業は大変だったよ。漫才の最中に酔っ払いが『もういいから一緒に飲みにいこう』って言うのよ。相方が『金持ってんのかよ』と言い返すんだよ。1万円札を客が振りかざしていたら、相方が『飲みにいかなくていいから、この金くれ』って、札を取り上げちゃってね。客は怒るわ、ボクは舞台の上から『よしなさい!』って大騒動だったよ」

 ツービートは毒ガス漫才とも呼ばれ、きよしの「よしなさい!」のツッコミと、たけしの過激なブラックユーモアで頂

175名無しさん@Next2ch:2013/11/22(金) 15:29:22.52 ID:9RiUh9UN

http://stat.ameba.jp/user_images/20090818/19/k-beat1231/62/06/j/t02200391_0480085410235722006.jpg
今、仲間たちと食事してます箸


このIDをNGリストに追加する

今後このIDの書き込みやスレッドを表示したくない場合、以下のボタンをクリックしてください。
NGリストに追加
1001名無しさん@Next2ch:Over 1000 Thread

このスレッドは書き込み数が1000を超えました!


このスレッドは過去ログです。