tanasinn #101

101以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2015/03/16(月) 01:32:24.70 ID:QE1Kvqs6

この言葉の語源に対して諸説があるが、どれが正しいかは誰にもわからない。
なんとも不思議な言葉である。
何故、tanasinnスレは盛り上がったのか、そして何故、tanasinnスレは変容していったのか、
ここでは私なりのtanasinnの考察をしてみたいと思う。

両手を天に掲げながら、謎の言葉を叫ぶ銅鑼。
全ての始まりはこれだった。まったくもって謎のAAである。
最初に言っておこう。tanasinn=銅鑼といった解釈は間違っている。銅鑼はあくまで媒体にすぎないのだ。
tanasinnは銅鑼なのではんく、銅鑼を見た者の心の中に生まれるのだ。
AAを見たものは共通して、今まで感じたことの無い不可思議な感情に襲われる。
そしてそのとき、人はtanasinnを認識したのだ。
こうしてtanasinnとはもともと、正確に知覚・表現できない、しかしそれでいて、
「在る」という実感を感じる不思議な感覚といったものを表す新たな名詞として生まれたのだった。
これは新しいもの好きで、また妙にインテリがかっており、
哲学的な2ちゃんねらーの一部の住人にとってはかつて無い新鮮なアイデアだった。
そして、それを具現・視角化し表現するという行為の発生及び過程において銅鑼という
日本人にとって最もなじみやすく、共有されているキャラクターが選ばれたのは必然と言っても過言ではないだろう。
つまり銅鑼はほぼ絶対的な普遍性を有していたからこそ、特殊なtanasinnというものを表す上で最高の媒体と成り得たのだった。

こういった状況のもと始まったtanasinnスレはその初期においては哲学的な要素が強かった。
そしてそれに啓発された一部のポエマー達が自分のtanasinnへの思いを放ち始めた。
そこでは、種々の議論が催され、まさに思考的にカオティックであった。
しかし、時間が経ち、tanasinnの不可解性に熱狂した住人達は自分なりの答えを見つけ出し始めた。
あるものは、長文を書き、あるものは新たなAAを作り、そして去った。
今あるtanasinn文化は全てこの時にまさに瞬間的に作り出されたものだった。
そうしてtanasinn第一世代は去っていったのだった。


tanasinn第一世代が去った後にスレを受け継いだのは彼らに触発された人々だった。
2ch全体から、そして2chの外からもやってきた彼らは、
好奇心が強く、tanasinnを単なるアイデアとして捉えるだけではない人々だった。
そうしてtanasinn第二世代の波はやってきた。
そう、そしてこの時点でtanasinnスレは単なる電波スレではなくなったのでる。
第一世代の文化を継承した第二世代は、それに自分なりのアレンジを加え始めた。
この頃tanasinnはある種の大まかな形が示されていたので、tanasinnの表現の専門家が一気に進んでいくことになった。
銅鑼はさらに激しく、深遠に。長文は長く、論理的に、詩はより深くなっていった。
銅鑼以外のAAが本格的に作られ始めたのはこのころだろう。
tanasinnAAを芸術として捉える動きも始まった。
またさまざまな板にtanasinnスレが立ち始めたのもこの頃だった。
そうして一気にtanasinn文化は拡大されたのだった。
まさに中世の貴族文化を受け継いだ、19世紀の市民文化の様相を呈していたと表現しても良いだろう。

そして一部の住人か、単なるtanasinnを電波と捉えたものの仕業かは定かではないが、
他の板へ無意味なtanasinn爆撃をするものも現れ始めた。
これは後々となってtanasinnスレの方向性を大きく曲げる原因の一つとなるのだった。

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