チラシちゃんのお題スレ #98

98名無しさん@Next2ch:2020/10/11(日) 19:11:38.24 ID:SMgpeCli

>>92
「固定電話」
ノマあるわ注意よ

固定電話の番号しか知らない友達がいる。どこで出会い、どんなふうに電話番号を交換したか、もう思い出せない。その友達は、名前を「源太郎」と言った。
源太郎に電話をかけるには、ぼくも固定電話を使わなければならなかった。携帯も公衆もだめで、もっと正確に言えば、ぼくの自宅の電話からしか掛けられなかった。
源太郎に会ったことはほとんどないし、彼の家も知らないけれど、たぶん同じか近隣の市内に住んでいるのだと思う。いつも市外局番なしの、6桁の番号で彼に掛かるからだ。
ぼくが電話をすると、源太郎はいつも「おう、坊やか」と言った。声からはぼくと同い年くらいとしか思えないのに、ぼくが5歳のときも、12歳のときも、ぼくを「坊や」と呼ぶのだった。
ぼくか源太郎にいろんなことを話した。家族も知らないような話。友達と喧嘩したとか、クラスの誰々が好きとか、先生にいじめられているとか、そういう話。
源太郎はいつも、「おお、そうかい」「そりゃ難儀だねぇ」と言ってくれた。それだけで、ぼくは嬉しかった。
電話をかけるのは、いつもぼくの方だった。源太郎から電話が掛かってくることは、ただのいちどもなかった。
高校生になって携帯電話を買ってもらったと伝えたときは、「ケイタイデンワってのは知らねぇけど、坊やもそういう年頃かい」と言われた。
大学に進学したと報告したら、「すげぇじゃねぇか。勉強して、国に役立つ立派なお人になっとくれよ」と言われた。
源太郎の声色は、やっぱりぼくと同い年くらいとしか思えないのだけど、口ぶりや話す内容からは、ものすごく年上の人なんじゃないかと感じていた。ぼくはもう、そういうことがわかる年頃になっていた。
「源太郎。ぼくは明日、結婚するよ」
そう告げたとき、源太郎はしばらく黙り込んで、「そうかい」と言った。
「いい人に会えたんだねえ、坊や」
「うん。この家も出ていく」
「ああ、そうさね。所帯を持つんだ。上手くおやりよ」
「うん、ありがとう。源太郎」
「感謝されることじゃないさ。それじゃあね、坊や」
ぼくは受話器を戻して、少しだけ泣いた。それきり、源太郎と電話をすることはなくなった。ぼくはもう、そういうことも、わかる年頃になっていた。
結婚して、一年後に息子が生まれて、その子に「源」と名付けた。妻はちょっと古くさいと不満げにしていたけれど、源と呼び掛けて嬉しそうに笑う息子の反応に折れてくれた。
源のお披露目に実家へ戻った。その家の源太郎につながる番号をプッシュしようとして、そうはしないまま受話器を置いた。
電話をかけるかわりに、電話番号から住所を調べて、その場所へ行った。その場所は歩いても行ける場所で、やろうと思えばいつでもできたのに、このときまで、そうしようとは思わなかった。
源太郎の電話番号は、ぼくを神社の境内へ導いた。町で一番長寿の、大きなシダレザクラの木がご神木として祀られてある。花の盛りのころには賑わうが、晩秋の今は人もまばらだ。
「こんにちは、源太郎」
ぼくはシダレザクラに微笑みかけた。どんな返事もないけれど。
「いままで、初詣にも来たことなかったな」
ぼくはつぶやく。来年は、息子も連れて来るよと胸のうちで伝えた。秋風にのって、ああそうかい、と聞こえた気がした。固定電話の受話器から聞いた声に、それは似ていた。それだけで、ぼくはよかった。


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