チラシちゃんのお題スレ #115

115名無しさん@Next2ch:2021/01/01(金) 09:27:39.80 ID:THgKucL6

>>106
「別人」

その男の鼻筋が好きだった。
眉間からすんなりと伸びたそれはまっすぐに潔く、品がよかった。男の顔の造形について、ほんとうのところは詳細におぼえていない。筋の先にあった鼻についても、確か鷲鼻だったかもしれないという思いしかない。
ただ、鼻筋が好きだったことを、ただそれだけをおぼえている。
あのような鼻筋の人間と、あの男以外には出会わなかった。
私をはじめて抱いた男の話だ。そのとき私は大学生で、それよりすこし年上の男だった。あの鼻筋から汗が伝い、私の胸に一滴二滴と落ちた。そんなことを、今も覚えている。

「先生」
教壇からいちばん遠いところで、若い男性の声があがった。講義終わりの騒がしさは薄れ、あとには数名の学生と私を残すのみだった。
「こちらへ」
私を呼んだ男子学生を、私のもとへ呼びつけた。彼はゆっくりとした動きで、私に従った。
私は私の性的指向を曖昧にしたまま、母校で教職を得た。おそらくつまびらかにしたって、誰も気にしないのだけれど。
「今日の講義でわからないことが」
目の前の男子学生は、決まりセリフのようにそう言った。配布したレジュメを取り出し、蛍光ペンで線引きしたその文章を指す。心理学についての初歩的な説明だ。
ふと、うつむく男子学生のその鼻筋が気になった。眉間からすんなりと伸びたそれはまっすぐに潔く、品がよい。
あの男以外に、はじめて出会う鼻筋だった。
「君のお父さんは、この大学の出身かい?」
質問に答えるよりも前に、私は男子学生に聞いた。彼は数度まばたきをし、戸惑いがちにはにかんだ。
「いいえ。どうしてですか?」
私は落胆にかぶりを振り、無理矢理に笑った。
「いや……似ていたんだ。君が、私の知る人に」
それだけ言って、あとは、彼の学術的質問に応えた。
その間に、男子学生の鼻筋は私の記憶にあるものからずいぶんと遠ざかっていた。少なくとも、まっすぐでも潔しとも思われなかった。
そんなものだと、私は私を誤魔化した。


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