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続き
511 名無しさん@Next2ch sage 2019/10/24(木) 21:01:42.34 ID:???
大企業に就職し、美しい妻と恋愛結婚をした。親父のようになどなるものかと、つかんだはずの成功だった。
その父親は大学時代、彼の稼ぎからすれば決して少なくない額を毎月仕送りしてくれた。妻は出世闘争にあけくれるくわ爺を献身的に支えてくれた。
それにも関わらず、自分の成功はすべて自分だけの力で成し遂げたと、くわ爺は信じてやまなかった。父親が死ぬまでに、里帰りしたのは何回程度だっただろう。妻にありがとうと、感謝したことがどれほどあるだろう。
――お父さんには、報われない人の気持ちなんか、わからないのよ!
遠い過去から引き戻すように、娘が叫ぶ。そう言われたのは、彼女が就職難を苦に自殺する、前夜のことだった。
娘の死後、妻は精神的に不安定になり、後を追うように亡くなった。瞬く間に独りになったくわ爺は、悲しむよりも、我が身に何が起こったかが理解でになかった。
せめて娘の痕跡を追おうと、立ち入った部屋の本棚の奥まった場所に、ボーイズラブ漫画なるものを見つけた。男同士がくんずほぐれつとしていた。東京に出てきたとき以来の衝撃が、くわ爺を襲った。
かくして、くわ爺はボーイズラブにくわしいんだ爺さんとなった。
娘にも妻にも、してやれることはもうなにもない。ならばせめて、成功ばかりを追い求めて周りを省みなかった自分を、くわ爺は改めたいのだ。
あの日すれ違った工員の青年の一人かもしれないけし爺を、そんなふうに愛せるだろうか。
くわ爺は、蛇口を捻ろうとした手を止めた。くわ爺の手は、いまも白くまっすぐで、爪だってちゃんとある。
けれどいまは、かの人の工業用オイルのにおいをまだ身に纏っていたかった。