801サロン@チラシの裏避難所 865枚目 #170

170名無しさん@Next2ch:2016/05/20(金) 15:03:24.88 ID:???

平安時代の大人気小説『源氏物語』の記述からは、本当のノッペリ顔はむしろ不美人の証だったとわかるんです。
『源氏』の「空蝉(うつせみ)」の記述がその証拠なのですが、見た目もステイタスもすべてが最高という設定の
「絶世の美男子」光源氏が、マジ惚れしてしまったのはそんなに美貌でもない年上の人妻・空蝉でした。

光源氏は「わたしはなんで、こんな大したことない女性のことを、本気で好きになってしまったのだろう」と焦ります。
その時に出てくるのが、次の空蝉の外見描写です。「目は少し腫れたような感じで、鼻なども(低いため)
鮮やかと思える部分がない。年をとっているのが丸わかりのルックスで(フツーに見て)魅力的だと思わせるような部分など、ない」。

平安時代から、「目鼻立ちがクッキリして、ほっそりとした体型の、年齢より若々しく見える女性こそが美しい」は、
日本の美人像にマストな条件なんですね。どうですか? 現代人の理想と、ほぼ変わらない気がするでしょう?

それにしても、なぜ現代人は誤った「平安美人」のイメージを持つようになったのでしょうか?
すべては、絵柄の問題なんですね。日本が鎖国していたのは江戸時代だけではなく、平安時代の後期もそうでした。
平安時代の鎖国直前まで密接な交流があったのが中国の、唐という王朝です。そして、唐の時代、「中国3千年」とも
いわれる歴史の中で、たった1回だけ、いわゆる「ふとましい」女性も人気となった時期があったんです。
「ふとましい」楊貴妃がグラマラスだとして人気になった頃の話ですね。

とうぜん、美人画として「ふとましい」女性の肖像などが、日本にも渡ってきました。
当時の日本人にも、おそらくは舶来上等、外国文化こそ素晴らしいという感覚はあったのだと思います。
そして唐からもたらされた、「美人はこう描くべき」という絵柄だけが、鎖国後にも残ってしまった……と。

今晩、アイメイクを落とすときから、どんどん小さく、細くなっていく自分の瞳を見ながら
「平安時代にタイムスリップしたら、わたしはモテモテなはず」……なんて妄想は捨てたほうが無難ですねぇ。

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