国際連盟事務次長
1920年(大正9年)の国際連盟設立に際して、教育者で『武士道』の著者として
国際的に高名な新渡戸が事務次長のひとりに選ばれた[6]。新渡戸は当時、
東京帝国大学経済学部で植民政策を担当していたが辞職し、後任に矢内原忠雄が選ばれる。
新渡戸らは国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案をして過半数の支持を集めるも、
議長を務めたアメリカのウィルソン大統領の意向により否決されている。
事務次長としてバルト海のオーランド諸島帰属問題などに尽力した。
エスペランティストとしても知られ、1921年(大正10年)には国際連盟の総会でエスペラントを
作業語にする決議案に賛同した。しかし、フランスの反対にあい、結局実現しなかった。
同年、オーランド諸島紛争を食い止めるという外交的成果も成し遂げている。
1926年(大正15年)、7年間務めた事務次長を退任した。