>しかしながら、サルトルが指摘したように、
>現代の人間は、自由であるべく呪われている。
>近代以前であれば、犬が犬に生まれ、猫が猫に生まれるように、
>農民は生まれながらに農民であり、商人は生まれながらに商人だった。
>ところが、現代では、人間は、何にでもなりうる代わりに、
>本質として何者でもない。無だ。なにかになっても、そのなにかのフリをしているだけ。
>他者のまなざしを前に、ニセモノであることがバレはしないか、
>と怯えている空虚そのもの。
↑言われてるぞ、いまだに長吏(穢多)だの抱え非人だのと言ってる江戸時代センスどもw