縁ある人々の現世的な観念とはいっさい妥協せず、真の哀れみを持って
縁ある衆生を救済するぞ。
周りの人に自分がどう思われても気にしないぞ。
なぜならば、わたしの周りの人は迷妄によって真実を見失っているからである。
一日も早く、一人でも多くの人を真理に導き入れるため、全力で頑張るぞ。
それによって、いかなる苦しみがあったとしても
それは自己の悪業を滅するプロセスである。
したがって、わたしは忍辱の修行を喜ぶぞ。
ハードなカルマ落としを喜ぶぞ。
なぜなら、わたしは自分自身で、自分のカルマを落とすことはできないからである。
いくら功徳を積んだとしても、わたしの悪業は落ちない。
したがって、周りから落とされるハードなカルマ落としを喜ぶぞ。
たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしても
真理に結びつけ、救済することが真の聖哀れみである。
真の聖哀れみを持って、厳しく衆生を救済するぞ。
たとえ導きによって、かつて親しかった人が真理を理解せず
離れていったとしても、その人の徳のなさ、無智を哀れみ
いつか救済するんだという心を持って、その他の縁深き魂を救済するぞ。
わたしは救済者なんだ。
現世の縁によってわたしが生きるとするならば、わたしは彼らに引きずられ
わたしもまた悪趣に落ちてしまう。
したがって、たとえ導きによって、かつて親しかった人が真理を理解せず
離れていったとしても、悪縁が切れたことを喜ぶぞ。
大切なのは迷妄の人々を真理に結びつけることであり、
真理を実践させることであり、
そのためには、いかなる手段でも用いて救済するぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
そして、周りの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。
周りの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。
周りの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。