結論としては>>494なんだけど、つけ加えると
地上に落とされたかぐやは貧乏な老夫婦との生活を気に入り
また、近所の子たちとの遊びも気に入ってしまった
ずーっと監視していた月の民は、それでは困るからと、翁に金や高価な布を与える
これによって翁はかぐやをより高い身分の男性の嫁にやろうと欲が出る
そしてかぐやにとっての幸せは失われ、月の民の目論見通り、地上の生活は苦しみに変わることになる
おそらくだけど、捨丸に妻子がいたのも月の民が何らかの仕掛けをしたんじゃないかと自分は思った
かぐやに現世にいたいと思わせるすべての要素を徹底して排除したのだろう
それはつまり、自説の正しさを証明するための工作、いわば洗脳に他ならない
「地上での暮らし=現世」「月での暮らし=あの世」として仏教的価値観と整合すると色々合点がいく
いわゆる輪廻転生というやつが月の民の価値観の根底にあるのだ
地上における生物はもれなくあらゆる生き物に生まれ変わるとされる
輪廻の中に居る事を「苦」とし、そこから外れること=月に帰ることを目的としている
それが幸せなものに映ったかどうかは自分の胸に聞いてみて欲しい
一度目の死(全力で元の家に帰るも、様変わりしており、木々は力を失い、失意のうちに帰る途中で野垂れ死に)は、
解脱には至らなかったので月の民によって輪廻に戻されたということなの
月に帰るということがすなわち宗教上の解脱であり、輪廻からの脱却を意味している
生前の記憶を失い、あらゆる感情を必要としない穏やかで満たされた極楽浄土へいけるという事だろう
では二度の死において何が違っていたのか
それは一度目はこの世界から消える事を望んではいなかったという事
二度目はこの世界から消える事を願ったという事
地上世界に対する憧れを一切捨て去るまで苦しませる事こそが、
ひいては月の民の優位性と月の存在価値を守る事なのではないだろうか
蛇足だが、動物の絵を描いたり、庭に元いた老夫婦の家を模した箱庭を作ったりと
かの地への郷愁と思い入れを訴えるも、翁にはそれが届かなかった
それに、かぐや自身も老夫婦が喜ぶ事をしてやりたいという親孝行の気持ちもあったんだろう
仏教のほかに儒教的価値観もそこには垣間見えるのである
高畑さんは宮崎駿さんほど凄い人とは思ってなかったけどこの作品で見方が変わった
やっぱ凄い人