広義と狭義の問題、それは世間と仲間のことと換言できるとは思うが
これは、男は自身のアイデンティティに細かく拘るという、言葉は細かくは忘れたがこんな論文が出ていることに由来するのかも知れない
男どころか女も狭義で狭量な側面を持ち合わせているという
むしろ、本当に狭量ならば、それは世間にそれを、狭義を押し付ける様のことではあるが
一例は、俺が女遊びをしたのか否か
祇園ナンバーワンの女に言い寄られ、断りに断り、拒みに拒んだが、手練れなので押し切られ…と
この一、二年ご女遊びなのかという点
世間ではどうでもいいことなので、女遊びに入れたり入れなかったりと判断が殺伐としているだろうが、俺は悩む
誰しも狭量な側面を持つ
これはいい結論なのかも知れない
それでも、人と接するときは、心を広く、定義も広くすればいいのではないかと俺は考える