異性子無しへ
一人、俺が乖離した時に、むしろ健忘したときに驚いた年齢勢の男性がいたが、あれも筋肉と考えられる
姿勢などで記憶が同調するので、筋肉の使い方が変われば記憶の内容も変わるということ
松本等は筋肉性の二重ととれて、あれも老後には無くなり、記憶も無くなり、別人のようになると考えられる
典型的な幼少期に母親に溺愛されたほうでは
違っても、そんなことは起こりうる
二千十七年夏までの姿勢と、俺からすれば一言「疲れて」ではあるが、それが病的に極まり、崩れて、言わば違う人格となったと
また再開でもすればあの時の話をしてもいいが
既に書いたが、理解できない人がいるかも知れない
無論、公性和の上で
公性和の上でならば、話してもいい
教えてもいいと言えばいいのか何なのか
明くまでも公性和の上でならば
かつ、教える人は、ある程度の理解が必須ではあるが
頭が良くなければ教えても分からず意味が無い
頭はいいが、そののうりょくをほかにはっきしていた、理解できていない
こんな人には教えるかも知れない
公性和ならば
俺の場合はそういった定番の筋緊張がないので、大丈夫と考えられる
むしろ、そういったことはあったので、今後もあるのかも知れないが、それなりに、大きなものは無いのかも知れないということ