長らく嫌だった「言語化」の価値の無さかも知れない
つまり、代案は「学術化」と「芸術化」
「科学化」と「芸能化」とまでしていいのかは分からないが
日本語の面白く無さが極まってきているが
むしろ、日本語ではなく外国語であるが、それが日本語として思われてきてしまっているので、その中に入り込んで
人という物はそれでしか理解できないので
所詮、全ては生き写し
合わせ鏡から抜け出すことは困難
抜け出せても、抜け出せた時、抜け出せた事、その表出対象である物があるだけであり、至極一過性では
それに気付かず、人という物は俺を含め自惚れ、終わるのでは
少なくとも過去は
今後は違うのかも知れないが
違う
極めて
合わせ鏡から抜け出せる
例えばこんな言霊を使っても、序列がある
馬鹿はこの序列も無くなると言えばいいとでも思うが
偏差値の概念すら内在化できない
ただ、偏差値を覚えただけ
もしくは、知能の量がより多く、そして、序列を間違うが
賢いはずなのに、莫大な知識の量と論理の量と情報処理速度を持ちつつ、間違うが
頭が悪いとしか思えないが、頭が悪いので、自覚はできない
正直、失笑もの
無論、その自覚も無いもできないが
出来ても直せないが
比べるに異常値のまま
人はそれを馬鹿と呼ぶ
つまり、人のその普通の境地にすら達していないということ
一字は万字
間違いまくっているということ
賢いわけなどない
これが知能の質