幼小中と親に決められ、高校もそんなもの
つまり、大学からは自由の身
こんな考え方が出来ることは分かりますか分かれば、ならば本当の友達とはと
住みたい土地も何もかもを親に決められていた子供時代から、自分で選ぶことができる大人になった方が、ずっと本当の仲の良さが出来るのでは
俺で言えば、友達ではないものの、社員と外部代表など信頼関係を築くことが出来たと思います
準ずる同年代と年下も隠れているだけでいなくなどありません
ならばと
幼小中の友達と、「先人の恋愛の尊重」と「難民の恋愛の尊重」、それを総べる「全員の恋愛の尊重」の俺の説明を適切に出来、先人と難民と俺を、俺とYURIでも何でも尊重する基準とすることは出来ますか
無論、同じ事ができる方との恋愛関係において、その方も同等です
こう平等が広まります
俺はもともとそうなので
行き過ぎて、八方美人の度が過ぎて、虐待を極められてしまったので
今もそれから抜け出すべく、思考からしての改善です
他人に乗っ取られている分を、直しています
ゆえに、そんな俺に合わせば、真の平等が得られます
平和に繋がります
馬鹿はこれの正反対のことを言うの一つ覚えで無理でしょうが
妄想も言うとは考えられずに
しばしば他人に乗っ取られるので、他人の責任であり、俺は責任能力がないと考えることもできずに
もしくはできるのに無理という馬鹿さ
子供の頃の友達が本当の友達というのは聞いたことがあります
ただし、遅く少なく、まるで少数精鋭かのように、大人になり自由になってからの友達が本物とも聞きました
答えは単に人によるですか
多いのは前者ですか
それは子供さを引きずっていて、成長できていないのではありませんか
本当に違うのならばいいのですが、本当なのかと疑えてしまいます
成長できないのは大事な者が間違っているから
それは、子供の頃からの友達と共有する価値観
ゆえにそこからの改善でないと、本当の意味での人格的成長などない
例えばこんなふうに考えられるのですが
俺が理想を求めすぎですか
無理な領域の成長ですか
ならばその為の材料は大人になってからの友達であると
こういうことですか
友達ではないが、そんな関係
これは分かります
それと、子供の頃からの友達は、共存できますか
子供の頃からの友達と共有する価値観は、直せますか
直せないのならば、大人になってからのその関係とは、意味がありますでしょうか
直せるのならば、その子供の頃からの関係は維持できますか、出来ませんか
子供の頃からの友達と共に、変わるのですか
伴えば中々の物とは思いますが、一緒に培った想い出と同じ経験は、つまり共に歌い慣れた歌は、食い慣れた曲は、着慣れた服は、遊び慣れた遊びはということです
抱き慣れた女はと
先入観と化し慣れた価値観はと
その点を疑えてしまいます
本当に一緒に変われますか
成長はそれまでですか
俺と旧友でも構いません
部活動はまだまともであっても、昔と友達など皆、仲良くしていればしているほどに、一緒に変われるなど思いません
一緒に変われる友達が親友
これはいいと思います
素敵です
そんな友達はいますか
信じられません
例えば奥さんが勝ち、奥さんとは変われるものの、友達とはと
親友とはと
友達と親友の定義をここから派生させると上手いと思いますか
子供の頃のままか、大人に成長するか
前者はただの友達であり、後者に至れば親友と
うまい