気分良く過ごせばいいと
俺も、人間不信を治して、いい人とのみ楽しめばいいと
そして落とし穴の馬鹿にまた終わらされるので、気分の良さなど全く関係が無いと分かる
ならば、実践せずこのととり理論面だけで結構
机上でもなんでもなく経験知
人はいらない
落とし穴の無い場合のみ関わる
これが俺の愛と言っていいのかも知れない
なにせYURIに深く関わるので
俺に必要なのは、人を悪としにしての自愛
ならば他愛の一番のYURIへの愛に繋がる
少なくとも俺からすると、人は驚くほどに悪
だからいらないもの
これが正しい
あの子、あの人、YURIの終わり具合で俺も終わっていると分かるはず
ならば、その終わっている人が創始者である女学と、この考え二つ
これで充分過ぎるほどに、人というものの価値を低く見るしか無く思える
どうせ、人は「先人の恋愛の尊重」と「難民の恋愛の尊重」で煩い
俺の「全員の恋愛の尊重」の元で、楽している自覚すらなく
簡単に言うと、俺は既に美化しているということ
それが俺の被害ということ
投影
俺は俺を醜く化したということ
充分過ぎるほどに人は美談
だから俺に責任転嫁し俺を虐待した
もしくは継続中
だから人はいらない
まだまだしばらく一人でいい
もしくはずっとこんなことでいい