一番手に負えないのは、出典が怪しい部分は削除したらそれでおしまい、おれはいいことをした、と考えてる利用者だな。
記事や他の利用者を大切にするという考えが欠けている。
現実の生活でも障害が生じてるんじゃないかと懸念するね。
出典の観点から記事をよくするためには、1件1件丁寧に対応を考えて進めていかねばならない。
何も考えずに単に要出典部分・独自研究と疑われる部分を削除する、というのは、その正反対で、記事を貧弱にするだけ。
「要出典タグ」を貼りつける方が、まだまし。
理想的には、個々の記事の執筆者と対話し、文献を調査し、出典を追加していく。
どうしても出典が見つからないようであれば、執筆者と合意のうえ、その部分をノートに移動する。
しかし、それだけの手間と時間をかける熱心な執筆者は存在しない。
手間を惜しむ奴が、大量デリートで、自己満足に陥っている。
出典を探す「義務」はないだろうが、義務がなきゃしませんとは、何のためにwikipediaをしてるんだろうね?