http://schweigende-ente.blog.jp/archives/7616772.html この規則のきっかけになったのは、1982年の6月25日に行なわれたワールド・カップの予選でのドイツ対オーストリアの試合で、対戦が行なわれたスペインの会場ヒホンの名を取って「ヒホンの恥」(Schande von Gijón)と呼ばれているドイツサッカー史上の大汚点、いまだに何かあるとドイツ国民の口にのぼる、サイテーの試合である。
アルジェリアは直前にドイツに2対1で勝つという大金星をあげて2位についていた。そのまま進めば初のアフリカ代表として決勝トーナメントに行けるはずだった。普通に考えればオーストリアなんてドイツにジャン負けしたはずだからである。
しかしドイツは早々と点をとるともうそれ以上攻めようとはせず、ゴールはワザと外し、必要もないのにボールをキーパーに戻してダラダラ時間を潰す、オーストリアも(あとで判明したところによると)監督が「一点差の負けでいい。下手に攻め込んだり点を取り返したりしてドイツを怒らせるな」と指示して選手を遊ばせた。