時間稼ぎのプレーを全然しなかった。
早いもので「ドーハの悲劇」から20年が過ぎた。
とはいえ、冷静になって振り返ると、プロ化してまだ日の浅かった日本は経験不足だったんだろう。例えば、最後のイラク戦、後半24分に逆転してから、時間稼ぎのプレーを全然しなかった。それまでと同じようにまじめにプレーしてしまったんだ。コーナーフラッグ付近でボールをキープして行なう時間稼ぎのプレーも、日本で定着したのはドーハ以降だったと思う。
ドーハは日本サッカーが羽ばたき始めたときに迎えた大きな試練。そこで学んだ教訓は次のフランスW杯出場に生かされた。選手も日本サッカー協会も「次も行けなかったら日本サッカーが終わる」というくらいの危機感を持ち、メディアもファンも「W杯出場は絶対のノルマ」として厳しい視線を注いだ。だから、オフトの後任のファルカン監督は短期間で解任され、その次の加茂(周)監督も最終予選の土壇場で更迭された。
アジアの出場枠が増えたのは大きく、今や日本はW杯に出場するのが当たり前になった。また、多くの選手が海外でプレーするようになり、選手のレベルも多少上がったかもしれない。でも、そこに以前のようながむしゃらさ、厳しさはあるだろうか。明確なノルマがないまま、漫然とW杯本番を迎える。それでいいのだろうか。
ドーハの悲劇、あの頃の日本サッカーの熱さや厳しさを懐かしく思うのは僕だけではないはずだ。