>③ マレーシアからの分離独立の経緯(ブミプトラ運動の背景)
>■ 背景:マレーシア建国と民族問題
>1. 1957年:マラヤ連邦独立
>イギリスから独立した際、マレー人(マレー系イスラム教徒)が政治権力を掌握。
>経済は華人(中華系)が支配しており、民族間格差が深刻化。
>2. 1963年:マレーシア連邦成立
>マラヤ連邦+シンガポール+サバ・サラワクが統合して「マレーシア」成立。
>しかし、政治面での「マレー人優遇」と経済面の「華人支配」の矛盾が激化。
>3. ブミプトラ運動(Bumiputera Policy)
>「ブミプトラ=土地の子(マレー人・先住民)」を優遇する政策。
>公務員採用・大学入学・企業支援などでマレー人優先。
>華人に対する差別的政策が進行。
>4. シンガポール内の反発
>シンガポールの華人多数派(特に人民行動党PAPのリー・クアンユー首相)は、「マレーシアはマレー人のための国ではなく、全民族の国である」と主張。
>これがマレーシア首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンとの対立を招く。
>5. 1964年:民族暴動(Race Riots)
>クアラルンプール・シンガポールでマレー人と華人の衝突が発生。死者多数。
>マレー人優遇政策に抗議する華人と、イスラム保守派の衝突が激化。
>6. 1965年:シンガポール追放(分離独立)
>1965年8月9日()、マレーシア連邦議会がシンガポールを正式に連邦から除外。
>「分離独立」ではなく、事実上の「追放」であった。
>リー・クアンユーは涙を流しながら「我々は自ら選ばぬ独立を受け入れる」と声明。
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🔹まとめ
>分類 :内容
>中国の影響 経済・金融・文化・華僑ネットワークを通じた“非公式統一戦線”の浸透。孔子学院・港湾企業・人民元決済拠点など。
>イギリスの影響 法体系・議会制・教育・軍制度など制度設計の根幹。FPDAなどで現在も安全保障上の関係継続。
>マレーシア分離の原因 ブミプトラ政策によるマレー人優遇と華人排斥。民族対立の激化により1965年に分離独立。
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