アゾフ連隊とは何だったのか?
全ての人から「あいつらはヤク中だった」と答えが返ってきた
アゾフの奴らが、代金を払わずに商品を持っていく
治安維持とは逆のことをやっていた
日本人記者が見たマリウポリの現実
https://news.yahoo.co.jp/articles/95923cdc068381f929a79dfc76da3de8c8349d62
ロシア支配下で生きていく理由
マリウポリ生まれマリウポリ育ちの40代の女性に話を聞いた。彼女は、マリウポリ経済は前大統領のポロシェンコ政権下で急激に悪くなったと言う。製菓メーカー「ロシェン」のオーナーであるペトロ・ポロシェンコ がマリウポリの製菓工場を買収・閉鎖したため、政権には不信感があったと話す。マリウポリ製菓工場は市民に広く愛されており、ロシェンにとってはライバル会社だった。しかし、マリウポリ経済が悪化しても、「それでも自分はウクライナ派だった。報道の影響は大きかった」と振り返る。
その考えは戦争中に変わった。
避難中に文字通り子どもが道に「落ちて」おり、周囲に大人はいなかった。子どもの顔は真っ赤に腫れ上がり、高熱があった。自身も二児の母であるためその子を置いておけず、一緒に市内から脱出を試みた。「ウクライナ兵に、私たちを町から出してください、それがダメなら何か薬をくださいと頼んだけれど、何もしてくれなかった。それどころか、それ以上粘ると撃つぞと脅された」と言う。彼女は市内中心部に引き返した。今では彼女は、プーチンを支持している。
同じくマリウポリで生まれ育った年金生活者の男性は、ロシアもウクライナも好きでも嫌いでもない、自分にとってはこの町に残ることが大事だったと話した。
彼は少し歩行が困難なので、避難中に手を貸してほしいとウクライナ兵に頼んだが、断られた。その後でロシア兵にも会ったので頼んだが、やはり断られた。彼はかつてロシアとの国境にいたウクライナの警備隊のことを「バンデラ主義者」と呼んで嫌っている。一般的にバンデラ主義者とはウクライナのネオナチ、民族主義者のことを指すが、彼は「泥棒」の意味で使っているようだった。「ロストフ州に行こうとすると、ウクライナ側の検問を通るたび、必ずモノを盗まれた。ロシア側の検問で盗難にあったことはなかった」と言う。
アゾフ連隊とは、結局、何だったのか?
マリウポリといえば、冒頭に触れた籠城戦で主要な役割を果たしていた「アゾフ連隊」が有名だ。彼らはウクライナにとっては対露徹底抗戦の象徴であった一方、ロシアにとってはネオナチであり、忌むべき存在だった。そこで地元の人々に、アゾフは善か悪か、結局どっちだったのか? と聞いてみると、全ての人から「あいつらはヤク中だった」と答えが返ってきた。
アゾフ連隊が2014年にマリウポリを拠点にし始めてから、薬物の蔓延がひどかったそうだ。と言うよりは、一切、検挙されなくなった。一時期、売買に関わっていたという20代の男性は、実際の取引現場を見せてくれた。薬物は主に通信アプリ「テレグラム」を通して取引されていた。売買すれば罪になるが、「売り手が土に埋め、買い手がそれをたまたま発見した」という形にすれば、見つけただけなら犯罪にはならない。テレグラムは通信記録が消せるので、証拠は残らないというわけだ。
50代の女性は、同じ集合住宅の住民がアゾフにスカウトされ、隊員になってから見るからに健康を害したため、除隊してどこかへ引っ越していったと話した。近所では、薬物のせいだともっぱらの噂だった。
また別の人は「アゾフの