↑ の最後の一行は途中で切れたので重複 ↓
それでは作曲作品、プログレッシブロックの音楽芸術としてとして鑑賞する為の集中力が維持されません・・・コレも何度も言ってるけど、ロック楽曲とは「BGM」ではなく、集中緊張した対峙を強いられる音楽であるべきなのね?
音楽家が意図して「強いる」為に創り、リスナーは音楽家の作曲アレンジ演奏によってそれを「強いられる」為に聴くのがロックなのよ
最後まで意味性が途切れないまんまのそれが出来てるのは1stのスキッツォイドマンなんかだけなんだけど、1stにしてもその他クリムゾンのアルバムと同様に駄曲が含まれてるので、俺は「ロックの名盤」にクリムゾンは一枚も挙げなかったのね・・・
その世間的な評価の高さとは違って、アルバムとしては一枚も「名盤」を創れなかったのがクリムゾンですよ
さて改めて「UZED」なんだけど、その音と音、パートとパートの繋がりの抽象的な意味が一瞬も損なわれない事と、それが「ピタゴラ」のカラクリとして完全に機能してる、という事が先ず一点
次に、そのカラクリにストーリーの「伏線」として、ウッドブロックやカナモノ等パーカッションの音や、それまで同じ演奏の反復だったのに、一度だけ半音下げるサックスが、次の展開の為のフックとして働いてる、という音の配置・アレンジの細かさと正確さ、ですよ
UZED のアルバム自体はトータルで聴かないと意味が無いので貼らないが、アルバム1曲目の Presage を何度も何度も聴いたうえで、それを打楽器抜きの管弦室内楽としてカバーした ↓ を聴いてみると、ドラマー/リーダー/ UZED の全曲作者であるドゥ二の細かな装飾音や、シングルリード吹いてる Dirk Descheemaeker の音の「抜き方、下げ方」が、如何に次の展開への「伏線/フック」となっていたのかが、ドラム/パーカッション抜きの限定された声部による再現で浮かび上がってきます
ALTROCK CHAMBER QUARTET - PRESAGE
https://www.youtube.com/watch?v=t3YeDriBalw
これも何度か書いたけど、このアルバムはモノトーンに抑えたプロダクションで、この様な精緻な音楽を聴き慣れてなかった俺には、最初は暗めのフュージョンにしか聴こえなかった
それが幾度か聴いた時、「何度も聴いてるうちに、徐々に」ではなく、一瞬でそれ等楽曲の音とパートの連なりの抽象的な「意味」、一つ一つの音とパートの役割、が分かってしまったんだな
コレはホントに雷に撃たれた様な衝撃でしたねぇ・・・今まで聴いてきたどんな音楽でも味わえなかった「分かる!分かった!!」という刃物が物理的な身体に刺し込まれた、という表現しか出来ません・・・
この様な音楽体験をしたのは後にも先にもコレ一度きりで、それ故、間違いなく20世紀の全ての芸術の中でも最高傑作されるストラビンスキー「春祭」と並べて称されないのは、単に認知度の問題でしかない、即ち自動的にロックの最高傑作である、と確信を持って言い得るワケです