破壊と命の奪い合いを行う戦争の影響は、戦争そのものが終わっても土地を汚染して影響を与え続けることがあります。第一次世界大戦でフランス軍とドイツ軍が熾烈な戦いを交わした戦地には今でもその負の遺産が残されたままの状態となっており、100年が経過した今でも人や動物が住むには適さない場所としてうち捨てられています。
1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦の中でも、フランス軍とドイツ軍の間で勃発した1916年2月のヴェルダンの戦いと、同年6月のソンムの戦いは、特に熾烈な戦いでした。ヴェルダンの戦いでは両軍あわせて70万人、さらにソンムの戦いでは実に100万人以上という兵士が命を落としており、第一次世界大戦で最大の戦いとして歴史にその名を残しています。
ソンムの戦いが繰り広げられた際に撮影された戦場の様子。見渡す限りの荒れた土地にはまるで生き物の存在が感じられず、まさに死の世界を思わせる風景が広がっています。
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これらの戦場跡は、戦後のフランス政府により「Zone Rouge (英語で「Red Zone (レッド・ゾーン)」の意味)」と区分され、一般人の立ち入りや農地としての利用が厳しく制限されるようになりました。攻撃の際に用いられた銃弾に使われていた鉛や、砲弾に込められていた有毒ガスが今でも多く残留し、犠牲となった兵士の遺骸や不発弾の回収・処理もほとんど進んでいないことから、人が生活するには危険すぎる地域として一般社会から隔離された土地となっているのです。
この措置により、当時存在していた9つの村が姿を消すことになりました。「villages that died for France (フランスのために死んだ村々)」とも呼ばれる村では、戦闘が行われる際に村人に退避が命じられ、その後村は完全に破壊し尽くされることになりました。そして戦争が終わったあとも、もとの地域は居住には適さず、回復させることも不可能としてうち捨てられることになったとのこと。
レッド・ゾーンの面積は460万平方マイルに及び、これは日本の沖縄本島とほぼ同じ広さに相当するもの。あまりに広大なエリアのため、完全な復興には300年から900年もの時間がかかるといわれており、専門家の中には「復興は不可能」とする人もいるほど戦後処理は極めて難しい問題とされています。
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一見するとごく普通の森が広がっていますが、その中では戦争の爪痕が今でも大地を汚染し続け、生き物が暮らすには危険過ぎる環境が残されています。戦争の時代に繰り広げられた人類の過ちは、このようにして前世代の遺産として後世に引き継がれる形となっているというわけです。
http://gigazine.net/news/20160802-zone-rouge/