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1932年生まれの83歳。宗教団体「生長の家」の組織内候補として参議院全国区に出馬し、1980年に初当選。
以後、参院で自民党の右派(国家主義者、保守派)として大きな存在を誇ってきた。
1999年には参議院に憲法調査会設置を主導、2000年4月に小渕恵三首相が倒れた際、急遽森喜朗内閣をつくったとされる「五人組」
(村上正邦参院議員会長、森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、亀井静香政調会長、青木幹雄内閣官房長官。肩書は当時)の1人でもある。
その村上氏が昨今注目されているのは、安倍政権に小さくない影響を与えているとされる右派政治団体「日本会議」の生みの親でもあるためだ。
選挙運動中、憲法の「け」の字も出さなかった。姑息なんですよ!
──村上さんは長年憲法改正を訴えてきました。今回その参院で与党など改憲勢力が3分の2をとりました。千載一遇のチャンスです。なぜそんなに憂えているんですか。
まさに憲法改正だからですよ! この参院選で、安倍さんは堂々と主張してよかったんです。
しかし、彼は憲法改正論議を避けて、禁句にしてしまった。憲法の「け」の字も出さなかった。
参院選の選挙運動期間中、アベノミクス、カネの話ばかりしていた。
それなのに、選挙が終わった途端、憲法改正を言い出している。姑息なんですよ! 姑息すぎる。
谷垣さんは選挙前から「まだ憲法改正の時期じゃないです」と言っていた。
そこは私は谷垣さんの思いと重なるし、尊重したいが、谷垣さんは憲法問題に消極的で、改正したい内容にも違いがあるので、
党内をまとめられないのではないだろうか。党内をまとめる力量が不足しているということだ。
──はっきり争点とすべきだったわけですね。
当然ですよ。昨年の安全保障関連法制もそうでしょう。
集団的自衛権の話をするのにホルムズ海峡の話だとか持ちだして、あんなひどい議論はない。
こういう議論は、誰もがわかるように時間をかけ、お互いが納得してやっていかないといけないんですよ。
与野党で時間をかけて熟議する。結論が出るまで夜中まで付き合う。それがいまは公明党との数の論理だけです。
──安保法制のときには山本太郎議員がゆっくり歩く「牛歩戦術」をやっていました。
そう、あれはよかった。
だから、あの後、彼をうちの事務所に呼んだんだ。よくやったよと。「(衆議院)院外でも早速あれをやれ!」と激励しておいた。
政治的な考えはまったく違うが、そんな話をしているんじゃない。
彼の議論を尽くしたいという姿勢はたいしたものだ。ところが、最近の自民党にはまったく熟議がない。
夜中までかけて、喧嘩なんてしない。熟議した法案なんてないでしょう。それじゃあ、いい法案なんてできるわけがない。
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http://news.yahoo.co.jp/feature/256