チンコが「フル」つまり「満ちている」状態とは一体何なのか?
字義通りにはチンコが「完全に」露出していることを指しているのだろう つまり "full exposure of チンコ" である
しかし陰茎を露出しているとき確かに我々は「満たされている」ということも見逃せない すなわち "fulfilled by チンコ" でもある
さらに「フル」が「振る」と同じ音韻であることもはち切れんばかりの躍動感の演出に一役買っている
チンチンが一部でも布で押さえつけられていれば振り回すことはできない
「振るチン」はフルチンの特権なのだ
「フルチンコ」と最後まで言い切らずあえて「フルチン」で止めている点も大変技巧的である
なぜ「フルチンコ」ではダメなのか?これにはれっきとした言語学的な理由がある
「フルチンコ」は「フル」と「チンコ」の複合語と解釈されるため「チンコ」にならって「チ」の「ン」の間に下がり目が来る起伏式アクセントで発音される
起伏式アクセントの語は最後に必ず音高が下がった状態で終わる
これによって音高からのメタファーとして着地や安定といった印象がもたらされてしまう
これがチンコにふさわしくない感覚であることは言うまでもないだろう
リズムの観点から見ても音楽の文化を通して四拍子のリズムに慣れ親しんだ我々は5モーラの語に強い解決感を覚える
語頭と語尾のモーラがちょうど拍の頭に乗るからだ
「フルチンコ」は5モーラの語であることも終止感を強めておりいかんせんミスマッチというところだ
こうした「終わり」の感覚を否定するのが「フルチン」という思い切った省略である
「フルチン」は音高が上がりっぱなしの平板型アクセントで発音され語長が4モーラとなり音高から見てもリズムから見ても終止感を感じさせなくなっている
これはまさに陰茎を露出することで得られる終わりなき開放感の象徴である
ここまで読んでくれたあなたに命令する
陰茎を露出せよ
繰り返す
陰茎を露出せよ