当時神奈川の被害少ない地方に居たのにそれでも怖くて怖くて未だにトラウマ
東北住んでた奴らはもっと怖かったんだろうか
最近南海トラフ巨大地震も来るとか北海道地震も来るとか言っててすごい怖い
地震対策って何ができる?
当時神奈川の被害少ない地方に居たのにそれでも怖くて怖くて未だにトラウマ
東北住んでた奴らはもっと怖かったんだろうか
最近南海トラフ巨大地震も来るとか北海道地震も来るとか言っててすごい怖い
地震対策って何ができる?
浮くしかないな
何が怖かったかによって対策も違ってくるな
我が家では主に水で困ったので貯水だけはしっかりしてる
神奈川で被災者でもなんでもないけど職場で生まれて初めて震度4を体験して直感で関東大震災だと思った
仕事中なのに上司もまずいと思ったのか帰れるやつは今のうちに帰れって言ってくれて駅から歩いて帰ったんだけど同じ方面に行く人らで固まりながら小学生の集団下校みたいに身を寄せながら歩いた
上司がすぐに帰宅命令出してくれたのと家が職場から近かったおかげでスーパーにも寄れた
スーパーの中でも大きな揺れがあってビビりながらもなけなしのお金で数本のペットボトル水とカンパンとカップ麺買って帰った
給料日前で3000円くらいしか無かったからこれからどうなるんだろうって重いながら少し泣きそうになりながら家に帰った
東北の地震ってのはガラケーだったけど帰宅中に調べたからすでにわかってたんだけど、家に帰ってテレビ付けたら東北は津波で流されてるし全局で津波の事ばっかり話してるしで本当に怖かった
電話回線が混んでたのと家族も神奈川だったからその日はあえて連絡も取らなかったけどその日の夜に兄貴が家に来た
俺の家が横浜駅から近かったから帰宅難民になった兄貴が藁にもすがる思いでうちに来たらしい
兄貴が帰宅する時間にはすでに水とかトイレットペーパーとか買い占められてたらしくて酒と牡蠣とイカとか買ってきたの憶えてる
なんでそんなの買うんだよって笑いながらもその時はすっっごい頼もしかったの憶えてる
とりあえずわけわからなくて兄貴と晩酌しながら地震あったときの状況とか東北やばいねとか話してて全然酔えなかったけど
なんとなくその日の晩酌の味は覚えてて不思議なんだけど美味しかった
サイコパスとかでもブラコンでもなくて、兄貴が居てくれてもし死ぬとしても一人じゃないっていう安心感みたいなのがあって美味しかったんだと思う
その時は本気で最後の晩餐になると思ってたからな
>>3
俺も水だけは欠かさなくなったのとどうせ彼女もいないから震災の後しばらくして実家に帰った
映画か何か流してるなーと思ったら津波のニュースだった
エネループと発電設備と大型バッテリーと変換器用意しとけば色々充電できる
スマホ・モバイルバッテリー・ライト・カイロ・ラジオその他
ライトは夜の間ずっと使うから腕に巻きつけたりベルトに付けられるやつがいいと思う
あとはお湯で調理できる食品と電気ポットがあれば火事のリスクも減らせる
中学の卒業式から家に帰った後に震度6弱強の揺れが来て堀コタツに隠れた
中でめっちゃパニクってた
地震の予測音のティロティロンにも鬱になったし余震で家揺れるたびに本気で次は東京かもって思ったしすごいアホなんだけど兄貴と二人で鍋かぶりながら寝てた
岡山にいる親戚からはこっち神奈川なのに被災者ばりの扱いで電話きたりもした
凄い怖い思いはしたけど神奈川県は被災者でもなんでもなくてなにもない地域…と思ってたら横浜駅のダイエーらへんが地面ボコボコになってたりして自分ちも余震でボコボコになるかもなんてすごい怯えた(当時浅間下らへんに住んでた)
次の日くらいに原発逝った時はヤバすぎて2ちゃんでポポポーンとか書きながら笑うしかできなかったのも憶えてる
当時下火なりにまだ見てたニコニコはランキングはどのジャンルもポポポーン動画しかなかった記憶ある
正直2日目3日目くらいからは怖すぎてネット見て笑ったりして精神安定させてた気がする
夏の計画停電はもうヤシマ作戦とか言いながら笑ってた気がする
>>7
バッテリーは中学で作った手動でクルクルしかないから買っとくレトルトのカレーみたいなの多いといいのかな
カップ麺とかの非常食増やしとく
揺れがでかすぎで地面が実際に揺れてるのを視認できた
すげーって思った
まだあの頃ってアナログテレビだったんだよ
テレビなんて普段見ないからデジタル化なんてする必要ないと思ってて買い替えるつもりもなかったんだけど
あの地震の時は暗い情報ばっかりしかくれないテレビだったんだけどそれでもテレビからなんか情報を受け取らないと知らないうちに被害が悪化してそうで怖くてテレビを消せなかった
結局実家に帰ってデカイテレビ買った
あの震災なかったらたぶんテレビ買い替えなんてしてなかっただろうから地デジ化後で地震来てたらまじで情報が入ってこなくて怖かったと思う
今はもうスマホあるからテレビなくても平気だけどあの頃はまだガラケー勢もそれなりに残っててアナログ期の終わりだったんだと思う
たった7年なのにだいぶ時代って変わるんだなと改て考えさせられる
栃木のスキー場の帰りだったわ リフト乗ってたら落ちてたんじゃねえかな
そのままホテル行ったけど電気ガス止まっててなんもできんかったな
津波「パニックパニックパニックみんなが溺れてる~」
地震「おーらはすごいぞ天災的だゾwwww」
原発「障害たのーしみーだーwwwwwwww」
(震度すげーwwwww)
津波「難破をするならーwwwまかせーておくれよーwwwwww
さんにーもよんにもーwwww水がーかんじーんwwwwwwwww」
原発「カーモン米兵カモン米兵ーwwwwww
放射能浴びれるぅ?wwwwww」
安置所「死ーんだ目ーして見つめちゃビビるよジーサンwwwバーサンwww」
遺体「オラは人www気www者wwwーwwwwww」
(震度すげーwwwwwwwww)
地震は自然災害だからどう行動するにしろ腹くくっておける
震災報道の合間にチラッチラッと小出しで出してた原発事故のニュースの方がやばいと感じた
完全デジタルは2011年の7月11日だったっけ?
調べたら24だったわ、何回もアナログ写らねえとかやってたなあ
中越地震のとき中学だったけど、文化祭潰れたのはおぼえてる
>>10
言っといてなんだけど電気調理器って消費電力大きいみたいだから設備に結構お金かかるかもしれない
バッテリー充電だけなら折りたたみ式のソーラーパネル+モバイルバッテリーでいいかも
一部のカップ麺とアルファ米は水でも作れてそこそこおいしいし
神奈川県は震度4か5弱の雑魚だからどうでもよかったけど、原発が怖かったな
ガソリンあったら四国ツーリングしたかったわ
東北のときは千葉のコンビナートが轟々に燃えていて、恐ろしかった。
最初は死者とかあんな数字が出てなかったけど、連絡がつかない村があるとか報道されてすっげー怖かった。村が壊滅っていまでもわけわかんない。
あと震災の数日後にがんばれ日本とか宣伝で流しはじめて、ムカついた。
当時嫌儲にいたけどアニパン千葉が半壊の家からパンツ救いだした一件ぐらいしか覚えてない
あとテレビが軒並み自粛モードだったのがトラウマ
あんな時こそ笑える番組を流す必要があるんじゃないの?
それが不謹慎という人は逝ってよし
お前ら地震のことはよく喋るのな
その調子で俺のクソスレにもレスして欲しい
良くも悪くも国民共通の話題だからね
誰しも心の中にチンフェを飼っているのさ
>>22
一週間位してテレ東でテガミバチ放送したの見てなんかほっとしたの思い出した
岩手内陸だけど地震で店の看板落ちたりガラス割れたりでコンビニは駐車場に車が避難してるのかびっしり埋まってたし信号つかないからみんなゆっくり走ってたのが不思議だった
停電しててガラケーのバッテリーなくならないように使わないようにしてたけど会社行かなきゃならなくて会社でニュースの原発の水素爆発のニュース見てやべーとは思った
あと沿岸は津波は想定内だったからあんまりショックじゃなかったけどニコ動のキングさよなライオンにはすごいハマった
>>14
ワロタwwwwwww
この現代日本で2万人が死んだという事実
怖すぎ
あれスレがうんこで埋まっていない
おまえらねっぱー不合格!
なんでこんなに伸びてるの
ギャグセンスなくてつまらないけどクソみたいな思い出はあるから
実家に自家発電機があったことが判明した
2日間納豆が買えなくて困った
ガススタに並んでる馬鹿どもを見物するためにいつもと違う散歩コースを採った
ゲーセンで「この程度で勝負捨てんなwwwwwww」とか言いながら友達と格ゲーやってた
まだ学生だったわ
まだNEPが存在しなかった頃と考えると遠い遠い昔のように思う
流される木材をピョンピョンはねていくUMAか霊の映像
震災当日に単身赴任先の東京から茨城の自宅まで原付バイクで帰宅
道路は停電で信号機が死んでて交通マヒの大渋滞
自宅付近も停電で真っ暗な中家に入ると薪ストーブのある居間が近所の子供たちの避難所状態になっていた
一晩泊まって東京に帰って2日後に東福島の保線基地まで飛ばされてそこから線路直しながら宮城県の亘理まで北上
国道4号に隣接した現場で潰れて泥だらけになった車を満載したトラックを見た時に津波の被害を実感して悲しくなった
東福島から亘理までの区間で橋が斜めに傾いたり砂利が流れて梯子状態の線路がたくさんあって隣接の東北新幹線は架線柱が軒並み傾いていて絶望的になった
3月の寒い時期とは言え鳥が殆ど飛んで無い違和感と金属臭の雨が気持ち悪かったのをはっきり覚えてる
宿泊した旅館で食材が届かず三食とも塩おにぎり2個とたくあん2切れの飯だけで10日近く働いて死にそうになったり
現場近くのコンビニに寄ると酒とタバコ以外全て売り切れだったり生活的な面ではかなり辛かったが
あちこちで佐賀県警のメンバーや山口消防局のメンバーを始め全国の復旧部隊と励ましあったり
地元民にお礼を言われたり激励されたりと感動した事もあった
ってパパがしみじみ語ってたよぅ
でかい津波があったって情報だけ聞いてカラオケでふざけてTSUNAMI歌ってた
>>39
だいたいこんなもん
津波に流されてた