テーマ>>2
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市バス
農家
走れ市バス
市バスは激怒した
かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した
へえー何のニュースだ?市バスがバスジャックされたって……。世の中物騒だなあ。
それはそうと、最近ちんちんがムズムズする。これはただごとではないと俺は確信した。
翌日、病院に向かった俺は、待合室で待っていた。するとなんてことでしょう。
今までのムズムズ感がみるみる無くなったのです。
そして名前を呼ばれた俺は先生と向き合ったが言うことがなくて気まずい思いをしましたとさ。めでたしめでたし
皆さんは、市バスというものに乗った事があるだろうか?恥ずかしながら、私は乗った事がない。
しかし、言葉の響きから言って市バスとは、貧民の乗り物であろう。
してみると、私のような高等遊民には縁のないものではある。
まあ、正確に言えば、家から出る事がないので乗る必要もないのだが。
市バス
市バスと聞くと世のアングラーは皆その言葉に耳を傾ける。そしてある時期になると河川敷に集まり己の竿を奮い立たせる
市バスとはまさしく世の中のアンダーグラウンドで生き抜く者たちにとって特別な存在であるということだ
市バスとは金魚の品種の1つである土佐錦とブラックバスの交配種である。環境適応能力が低い土佐錦よりも遥かに丈夫で育成し易い事から初心者向けの品種として親しまれている。名の由来は織田信長の妹で戦国一の美女と賞された「お市の方」から来ている。
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自分自身かよ
すまんミスった>>12で
神
神を崇めなさい。神を崇めなさい。神はいます。そこにいます。
神は見ています。貴方を見ています。そこで見ています。貴方は神は貴方を見ています。神は見ています、貴方を。
神を見なさい。貴方は、神を感じなさい。神はそこにいます。神は、貴方は神の為です。神に従いなさい、神を。神へと。
日本人は神を信じないとよく言われるがそれは日本人の民族的性質のあらわれのひとつに過ぎない
今年の流行語大賞の「神ってる」に始まり、神を「素晴らしい」などその他程度が大きいということを意味する語として用いることが多い日本人であるが
そもそも神と言う概念は仏教よりも
後に日本に入ってきたためそれが国民意識にあまり浸透できなかったのだろう
であれば、それを心のそこから敬虔な態度で接しろと言う方が無理なことである。神は、南蛮人がもたらした目新しい品々と同じように扱われる運命だったのだ。好奇心旺盛な気質が、よくも悪くもそこにはあらわれている
日本人は神を信じないとよく言われるが実はそうではない
確かに神と言ってもキリスト教的な神ではなくもっと人々に近い存在の神ではあるが
そもそも信じないというのは正確には「否定している」のではなく「特に気にしていない」と言うのか正しいのだ
そもそも日本は伝承上では神が創った国である
あの仏教が伝わる前から神という概念が存在していたのであらば天皇家の血筋が今日まで続いているのも納得できる
また古くから残る大量の神社やその祭、そして八百万の神、九十九神などの存在から日本人は知らず知らずではあっても常に神々と共にあったといえる
それが今まで変わらず続いていただけなのだ
私は全知全能の神である。
「なら自分を全知全能じゃなくすることもできるよね?」「簡単である」
こうして私は特別なことは何も出来ない神となった。
電車に乗っていると突如襲ってくる腹痛。
「ああ神様!助けて」なんて思いながら必死に踏ん張りトイレに駆け込む
それでなんとか間に合ったのは良かったが、今度は紙がない!と。
「ああ神様のイジワル!」なんて言ったりしてね。紙だけにね。