【反社】自民党 玉澤徳一郎 元農水大臣、1000万円を踏み倒した恨みで銃撃されていた

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/13(金) 22:07:39.27 ID:aA4FnN4b

元農林水産大臣・防衛庁長官、元自由民主党岩手県連会長
旭日大綬章受賞者
「玉澤 徳一郎」に告ぐ

昭和47年に私が君に貸与した、金一千万の返済は、平成26年(ワ)第273号―貸金請求事件の判決で時効が認められ、法的には返済の義務は無くなった。
しかし君が動議を忘れた愚者であることに変わりはない。事実を約束通り公表することにした。

私(高橋)と玉澤徳一郎、そしてもう一人の友人吉田潤一は高校時代「生きるも死ぬも一緒」と誓い合い、ドラム缶のイカダで、北上川の急流を盛岡から石巻まで6日間命懸けで下った仲だった。

私と玉澤と吉田君は、盛岡一高の柔道部の同期として青春を共にした。玉澤は早稲田大学に進学し、昭和44年の衆議院選挙へ出馬することになる。

早稲田大学に進学した玉澤は、M・R・A(道徳再武装)という団体に入信、没頭して約2年間休学し、中南米を演劇等して回っていた。そんな玉澤の大学院時代に、私は、親も出さなかった学費を、手をドロにして野菜を作り、かせいだ金を願われるまませっせっと送っていた。 大学院を卒業後の昭和44年、衆議院選挙に出馬することになると、私は事務局長として、吉田君と共に選挙活動を行うことになった。

昭和44年(1969)玉澤は衆院選に初出馬し私達も全力で戦ったが落選する。法定選挙費用額は3,647,500円、実際に用した全額600万円、全部私が支払った。

当時は1万円札が目立つ時代であった。 パチンコ屋で両替したりして、徹底してばらまいた。
投票日の夜、太田橋の下で事務所の紙類を全部燃した。 バラマキメモは隠し持ってた。何が起きても、玉を守るの一念からである。一万八千の得票であったが、小生誰も出来ないことを、やってのけたの気分で誇りであった。投票の翌日文章違反が一つ出た、来たなと思い、バラマキメモを水で溶かしトイレに流した。

昭和47年、2度目の衆議院選への出馬を決めた玉澤は、会社設立して間もない私たちに選挙資金の融資を願った。
昭和四十七年七月、東京の右翼の超大物で、関山義人と云う人がいる。児玉誉士夫と同格の人物で、そのトップの番頭に、井上と云う大人物がいる、その人に選挙資金を願ったら、地元で金が出ないのでは出せない。地元で出るなら、出してやると云われたので是が非でも出してくれ、との話であった。
用事があって事務所をでたら道路まで追いかけてきて頼む頼むと何度も頭を下げられた
会社設立から一年そこそこ、余裕金等あるわけでない。 二三百の金では役に立つどころか、笑われると考えた。 誰彼に話せることでもない。経理の者が苦い顔をするなか、仮払金として壱千万円を小生名義に引出して、貴君の家に行き、借用証等、紙切一切無しで、小生の手から貴君の手に借した。

昭和47年(1972)の衆議院選挙の際、私の経営する会社の資金を融通して、選挙資金として一千万円を借用書なし、ある時払いの催促ありとの約束で貸付した。

以下ソース
https://archive.today/KJ13S

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/13(金) 23:57:51.16 ID:???

こいつの孫とおんなじ学校だった

3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/14(土) 00:07:19.45 ID:???

当時の一千万だと今の一億ぐらい?でも何故いまさら?なんの会社か知れないが相当便宜はかってもらってウハウハして一億ぐらいの恩恵は受けてそうだけど

4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/14(土) 02:06:34.83 ID:???

議員になる前に貸してる一千万だから便宜云々てどうなんやろ?

5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/14(土) 16:57:16.00 ID:???

>>1の続き

神農道では、この様な金は、命が担保だ。玉澤はこの一千万円を呼水に三千万円を借り入れた。一か月後位に、関山義人本人が来盛して主だった30名に檄をとばした。11月末になると選挙選が始まった。
高倉健や相撲の関取衆が来盛し、内部から派手すぎるの声も出た。法定費用約370万に対して
実際に要された金額は10倍を超えるものだった。
結果は落選、しかしながらその後からの選挙資金は贅沢そのもので、法定費用は一度も守ったことはない。

昭和51年の衆議院選に三度目の出馬で当選する。念願の議員となった玉澤であったが、やがて政治思想、哲学、大義を無くした醜塊となり下がる
そこにいたのは、今となってみれば、私が知っている「玉」などではない。永田町に行って、金バッジをつけ、威張りチラシたいだけの、醜い野心の塊である。磨くなどしたら、ウンザリと、悪と害が、北上川のごとく流れ出す。防衛庁長官、農林水産大臣を努めたが、平成12年(2000)に落選する。「落選すれば引退」としていたが、引退を撤回した。

平成13年(2001)再び金バッジを付けることを夢見る玉澤に初めて催促をしたところ「誰の金かわからないので返せない」と、田舎詐欺師も用いない言い訳をしたことから、内容証明にて催促を行った。

(了)

6番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/12/14(土) 21:23:08.12 ID:???

やはり自民党に入ると人格崩壊するんだな


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