アフリカ人のサムライ――弥助が残した不朽の遺産 ID:vFla8NYI

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/08/11(日) 14:15:22.01 ID:vFla8NYI

https://www.cnn.co.jp/world/35138192.html

香港(CNN) 封建時代の日本で権勢をふるった大名、織田信長が1581年、黒人奴隷から家臣となる弥助に会ったとき、信長はこの男性を神だと思った。

信長はそれまでアフリカ出身者を目にしたことがなかった。「African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan」の著者、ロックリー・トーマス氏によると、当時の都だった京都の住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。

「弥助が(イエズス会の宣教師とともに)京都に到着した際、現地は大騒ぎになった。人々は彼の姿を一目見たい、そばに行きたいと躍起になった」とロックリー氏は語る。調査と執筆に9年を費やした同書は4月に出版された。

信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。

政治的策謀や無慈悲な暗殺、忍者による襲撃が横行していた時代にあって、弥助の存在は強みになると見なされた。イエズス会の記録によると、信長はすぐさま弥助を侍に取り立て、従者や住居、扶持(ふち)まで与えたとされる。

日本では今日、世界初のアフリカ系侍としての弥助の伝承はよく知られており、賞を取った児童書から漫画「アフロサムライ」に至るまで、多彩な関連作品が生まれてきた。

https://www.cnn.co.jp/storage/2019/06/07/590221c199eb4d3e5a1819d5ad017cb2/t/768/432/d/japan-african-samurai-illo-large.jpg


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