あの日経が「夜の五輪」を提案 森喜朗「サマータイム」騒動とは何か ID:1YaLlTsc

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2018/08/10(金) 20:36:50.19 ID:1YaLlTsc

今週の「スクープ」と言えば、産経新聞が8月6日に一面で報じた「サマータイム導入へ」だろう。

《五輪組織委員会の森喜朗会長は先月27日、首相官邸を訪れ、安倍晋三首相にサマータイムの導入を要請した。》

出ました、森喜朗! 東京五輪の酷暑対策で「2時間繰り上げ」で「2年限定」という。

「ピンチはチャンス」そもそもピンチを招いた人は誰だ

先月末、7月24日の日刊スポーツに森喜朗インタビューが掲載された。そこで、

「この暑さでやれるという確信を得ないといけない。ある意味、五輪関係者にとってはチャンス」と述べていた森会長。

記事には「ピンチはチャンス」と書いてあったが、そもそもピンチを招いたのは誰だ。

というのも、組織委員会の前身の招致委員会はIOCに提出した立候補ファイルで「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」とプレゼンしていたが、森会長はこのあと「一番暑いときにマラソンをしたら倒れる人がいっぱいいるんじゃないか」と講演で発言しているのだ(時事ドットコム 2014年10月24日)。

招致委員会と組織委員会会長が正反対のことを言っているのである。4年前から。

(見出しのみ)
真面目な日経がまさかの「夜の五輪」提案
サマータイムで残業増?
(見出しのみ終わり)

>>2 へ続く

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2018/08/10(金) 20:37:30.21 ID:1YaLlTsc

森喜朗「会長」を巡って足並みが乱れていた頃

さて森喜朗会長ご提案の「時間のマジック」だが、私はどうせ時間のマジックを言うなら2年後ではなく、今から5年前の時間の流れを再検証したほうがよいと考える。

それは森氏が東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長になった「時系列」である。

思い出していただきたい。

東京五輪の招致が決まったのは2013年9月だった。あのとき猪瀬直樹都知事は絶頂の瞬間にいた。わが世の春と言っていい。しかしそのわずか3か月後に都知事を辞任した。

そのあいだに何があったのか。たとえば、これは招致決定の1か月後の記事だ。

「安倍首相と猪瀬都知事 東京五輪大会組織委人事で足並みに乱れ」(2013年10月12日 スポーツニッポン)

《安倍晋三首相が2020年東京五輪開催に向けた準備を総括する大会組織委員会会長に森喜朗元首相(76)を充てる方向で調整していることが11日、分かった。政財界やスポーツ界に幅広い人脈を持つ森氏を起用し、オールジャパンで準備に取り組む狙い。一方、東京都の猪瀬直樹知事は「人選はぼくのところでやる」と否定し、準備の前段階で早くも足並みが乱れている》

猪瀬氏はこの時点ではっきりと森氏の就任に否定的だった。東京五輪のことは東京都で決める、と。

釈然としない人事の経緯と、サマータイム

しかしこのあと猪瀬氏は「徳洲会から5000万円」のスキャンダルが発覚し、辞任(2013年12月)。森氏が東京五輪の組織委員会のトップに就任したのは翌月である(2014年1月)。都知事不在のときにどさくさに紛れて就任したと言ったら叱られるだろうか。

これで名会長だったらともかく相変わらず世の中に不評な森会長の言動。

これをみると私はサマータイムの「時間の繰り上げ」なんかより、2013年9月から2014年1月のあいだに組織委員会の会長のイスをめぐってどんな経緯があったのかきちんと知りたいのである。どんな「森喜朗の繰り上げ」があったのか、そっちのほうが知りたい。なぜ森喜朗はトップになれたのか?

そもそも森氏が首相になったときの経緯も謎だった。当時の小渕首相が病に倒れ、気がついたら森喜朗が「五人組」とやらの会合で選ばれていた。今でも釈然としないエピソードである。

首相の座も、五輪組織委員会会長の座も、就任に至る時間の流れが不透明な森喜朗。

そんな人物が唱える時間の繰り上げ(サマータイム)なんて、怪しいに決まってるのである。

全文はソースで

あの日経が「夜の五輪」を提案 森喜朗「サマータイム」騒動とは何か | 文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/8557


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